太宰府の平井瓦屋
現存する株式会社で最も創業が古いのは、難波の四天王寺を建立した株式会社金剛組といわれています。創業1400年ですから、すごいですね。世界的にも珍しいのではないでしょうか。
現存しませんが、太宰府市五条に昭和35年頃まであった平井瓦屋も長い歴史を持っています。大宰府政庁跡遺跡から出土した瓦に「平井」とか「平井瓦屋」と刻印してありますから、ここもかなり古い。おそらく瓦葺きの構造を有した大宰府政庁跡第二期遺構の創建頃から瓦を製造していたと推定できますので、7世紀初頭まで遡ることができるのではないでしょうか(古賀説。通説では8世紀初頭)。
出土した古代瓦に「平井瓦屋」と記されていることから、古代も瓦屋さんを「瓦屋」と呼んでいたんだと、妙に納得してしまいました。ご参考までに、「太宰府市文化ふれあい館のホームページ」より、平井瓦屋の項を転載しておきますので、ご参照下さい。
【宰府の平井家】
宰府村で瓦の生産をおこなっていた家に、戦後まで瓦を焼いていた五条の「平井」家があげられる。「平井瓦屋」の名は古くは平安時代の大宰府で使われた瓦の文様の中に見られ、平井の名は中世には九州一円に影響力を持っていた「鋳物師」の総領として知られている。しかし、その家業も観世音寺の収蔵庫の瓦製作をおこなった昭和30年代を境におこなわれなくなったらしい。残された文献や考古学の資料からは中世や近世の太宰府での瓦生産についての詳細はよくわかっていない。