大和「飛鳥」と筑紫「飛鳥」の検証(3)
古田先生が筑紫の「飛鳥」と考えられた小郡市井上地区の小字「飛島(とびしま)」ですが、その小字「飛島」の形が元々は沼か水路のようで、『日本書紀』や『万葉集』に記された「あすか」のような比較的大きな領域とは考えにくく、わたしは古田先生の小郡「飛鳥」説に納得できないでいました。
たとえば『万葉集』196番歌には「わが大君(吾王)」の名前「明日香」は「明日香川」に由来すると歌われています。従って、「明日香川」はそれなりの規模を持つ有名な川と考えざるを得ません。しかし、小郡市の小字「飛島(とびしま)」が元々は川であったとしても小規模であり、とても九州王朝の天子の名前の由来となるような川とは考えられません。
そこで、わたしはこの「明日香川」にふさわしい川として、筑前と筑後の間を流れる九州随一の大河筑後川ではないかと考えました。筑後川という名称は筑紫国が前後に分国された後に付けられたものであり、分国以前(六世紀末以前)には別の名前があったはずですから、筑後川の古名が「明日香川」だったのではないかとする作業仮説(思いつき)に至ったのです。しかし史料調査の結果、筑後川には「一夜川」の別名や地元の通称である「大川」という名称しかみつかりませんでした。また、その上流や源流域の地に「アスカ」という地名や山名も見つかりませんでしたので、筑後川を「明日香川」とすることにはエビデンスがなく、仮説成立は困難とせざるを得ませんでした。
次に検討したのが筑後川の支流で小郡市を流れる宝満川の古名が「明日香川」とする作業仮説(思いつき)を検討しました。通常、宝満川の名前の由来は宝満山(御笠山)を源流域とすることによるとされています。他方、同地域から博多湾へ流れる川として御笠川が存在しています。宝満山の古名が御笠山であることから、御笠川の名称はその山名に基づいています。同じように御笠山を源流域に持つ宝満川は、御笠山が宝満山と名前が変わって以降に成立した名称となりますから、筑後川と同様に別の名前(古名)を持っていたはずです。それが「明日香川」ではないかと考えたのですが、やはりそれを証明するためのエビデンスは見つかりませんでした。
このように筑紫「飛鳥」説を証明するため、史料調査や検討を続けたのですが、成果は得られませんでした。(つづく)