第2315話 2020/12/09

波多野精一氏と古田先生の縁(えにし)

 『邪馬壹国の歴史学 ―「邪馬台国」論争を超えて―』(ミネルヴァ書房、2016年)の巻頭文〝「短里」と「長里」の史料批判 ――フィロロギー〟によれば、古田先生はお亡くなりになる二ヶ月前に波多野精一氏の『時と永遠』(岩波書店、昭和十八年)を読んでおられたようです。
 歴史学の先達のお名前は古田先生からお聞きすることがよくありましたが、哲学者として高名な波多野精一氏のお名前を古田先生から直接お聞きした記憶はありません。ですから、同巻頭文の終わりに突然のように記された波多野精一氏やその著書『時と永遠』を意外に感じました。そのことが気になりましたので、波多野精一氏のことを調べてみたところ、古田先生と不思議な御縁があることを知りました。
 ウィキペディアには、波多野精一氏を次のように紹介しています。
【フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)】
波多野 精一(はたの せいいち、1877年7月21日~1950年1月17日)は、日本の哲学史家・宗教哲学者。玉川大学第2代学長。
 西田幾多郎と並ぶ京都学派の立役者。早大での教え子には村岡典嗣、東大での教え子には石原謙、安倍能成、京大での教え子には田中美知太郎、小原国芳らがいる。また指導学生ではないが、波多野の京大での受講者で波多野から強い影響を受けたとされる人物に三木清がいる。〔転載終わり〕

 古田先生の恩師の村岡典嗣先生の早大時代の先生が波多野氏だったのでした。そうすると、古田先生は波多野氏の孫弟子に当たるわけです。また、同略年譜によれば、長野県筑摩郡松本町(現:松本市)生まれとのこと。偶然かもしれませんが、古田先生が松本深志高校で教師をされていたこともあり、不思議な縁を感じました。
 恐らく古田先生は波多野氏が村岡先生の恩師だったことをご存じのはずです。水野雄司著『村岡典嗣』(ミネルヴァ日本評伝選、2018年)には、「村岡は、早稲田大学にて波多野に出会い、そして終生、篤く敬慕した。村岡にとっての波多野は、大学時代の一教員には止まらず、学問に挑む姿勢から方向性の指導、そして実際の生活についての支援まで、生涯にわたって支えられた人物となっていく。」とあり、恩師を慕う気持ちと学問精神が引き継がれていることに感銘を受けました。
 なお、村岡先生は終戦後すぐの昭和21年(1946)4月に61歳で亡くなられ、波多野氏は昭和25年(1950)に亡くなっておられます。波多野氏の晩年の著作『時と永遠』(岩波書店、昭和十八年)を古田先生がご逝去の直前に読んでおられたことにも、学問が繋ぐ不思議な縁を感じざるを得ません。

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