古田先生の「紀尺」論の想い出 (1)
古田史学の学問の方法論の一つに「紀尺(きしゃく)」という概念があります。文献史学における編年の論理性に関わる概念なのですが、この「紀尺」という言葉を初めて聞いたのは、1986年11月24日に大阪の国労会館で開催された古田先生の講演会(注)でした。この年にわたしは「市民の古代研究会」に入会し、古田先生の講演会にも参加するようになりました。ですから、古田史学に入門して間もないわたしにとって、先生の謦咳に接する貴重な機会で、35年以上経った今でも記憶に残る印象深い講演会だったのです。
その講演会で古田先生は中近世文書に見える古代の「○○天皇××年」という年代記事について、その実年代を当該天皇が存在した実際の年代で理解するのではなく、「○○天皇××年」を皇暦のまま西暦に換算するという編年方法(『東方年表』と同様)を提起され、その方法論を「紀尺」と名付けられました。この発想は当時の聴講者には驚きを持って受けとめられました。皇暦(『東方年表』)など〝皇国史観の権化〟のような紀年法と〝兄弟子〟たちは受けとめていたようで、この古田先生の新説に対して批判的でした。わたしや不二井伸平さん(古田史学の会・全国世話人、明石市)のように、深い感動をもって受けとめた〝弟子〟は少数だったように思います。(つづく)
(注)「市民の古代研究会」主催の古田武彦講演会。演題は「古代王朝と近世の文書 ―そして景初四年鏡をめぐって―」で、『市民の古代 古田武彦とともに』第9集(市民の古代研究会編、新泉社、1987年)に「講演録 景初四年鏡をめぐって」として、その前半部分が収録されている。「紀尺」に関する後半部分「近世文書」は同講演録からは割愛されているため、筆者の記憶に誤りがないかを、不二井伸平氏に録音テープを確認していただいた。その結果、筆者の記憶通りであり、不二井氏も同様の記憶であることを確認した。〝古賀の記憶違い〟との批難を避けるため、慎重を期した。