第2908話 2023/01/05

古田先生が生涯貫いた在野精神 (3)

『古田武彦とともに』創刊第1集(古田武彦を囲む会編、1979年)に寄稿者として名を連ねている高田かつ子さん(多元的古代研究会・前会長)から教えていただいた次の逸話があります。それは古田先生が昭和薬科大学に教授として招聘されるときの話だそうです。

〝今から十二年前の昭和五十九年三月、上京していらっしゃった古田先生と池袋の喫茶店でお目にかかった。昭和薬科大学に教授として招かれたので、東京での拠点を探しに上京されたとのことであった。
「まだ迷っているのですよ。」
なぜ、と問いかける私に、大学教授という社会的に地位のある職に就くことは堕落に通じることではないかと心配しているのだとおっしゃる。それをお聞きして私はストンと胸に落ちるものがあった。それは、こういう話をお聞きしていたからであった。
昭和二十三年、先生は東北大学を卒業してすぐ、信州松本の深志高校に奉職された。深志での四年間は、教師として人間として、生徒と共に遊んで学んで育っていった原点でもあったとおっしゃる。そして昭和二十七年、あとどうなるか全く分からずに「やめます」と言って去る日、松本駅に見送りに来ていた人達の中から一人の青年が、動きだした列車と共に走りながら「堕落するなよ!」と叫んだというのである。
「堕落するなよ」、それは都会へ行って落ちぶれるなという意味ではもちろんない。エリート面してしまうなよ、雲の上のようなインテリになってしまうなよ、というのが彼の言う「堕落するなよ」という意味であることは先生にはすぐ分かったそうである。先生が最初に教えた三つ年下の生徒で、付き合いが深かったせいでもあるとおっしゃる。
(中略)
大学教授になってからの先生の行動は堕落とはおよそ対局にあるものであった。和田家文書にしてもしかり。大学教授としての地位に甘んじることなく研究に打ちこんでいらしたことは周知の事実である。〟「志の人・古田武彦に乾杯」(注)

古田先生が昭和薬科大学に奉職されるにあたってのエピソードで、生涯、在野精神を貫かれた先生らしい話です。この話を伝えた高田かつ子さんは、その後病に倒れられました(2005年5月7日没)。亡くなる二日前の言葉が遺されていますので、最後に紹介します。

「古田先生より先には死ねない。まだ死んでいる場合ではないんだ。きっと先生が亡くなった後はみんなが我が物顔に先生の説を横取りしてとなえ始める人が出できて大変だろうから、その時には私が証人にならなければ。(村本寿子さん談)」

(注)『古代に真実を求めて 古田武彦古稀記念特集』第二集、明石書店、1998年。

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