第3164話 2023/11/24

深津栄美さんの思い出と遺品

 多元的古代研究会の会誌『多元』178号に深津栄美さんの訃報が掲載されていました。古田先生のご紹介で深津さんとは昭和薬科大学で一度だけお会いしたことがあります。また、『古田史学会報』に小説「彩神(カリスマ)」を十年にわたり連載していただきました(3~62号)。同連載は古田先生のお薦めによるものでした。論文だけではなく、九州王朝説をテーマにした読み物も掲載するようにとのことで、執筆者として深津さんを推薦されました。そうした御縁により、度々、お手紙や、春にはご近所の桜の写真を送っていただきました。
昨年十月には、古田先生との初めての出会いなどが記された日記二冊(「1989~91」、「平成3年~5年」)と「古田先生聴講記① 平成3年4月~5年12月」一冊が送られてきて、それらは深津さんの遺品となりました。おそらく、自らの死期を悟り、わたしに託したのではないかと思っています。

 訃報に接し、遺品の整理をしていましたら、平成3年(1991)8月に開催された〝「邪馬台国」徹底論争 ―邪馬壹国問題を起点として― 古代史討論シンポジウム〟の案内ポスター(B4版)と同「趣意書」がありました。同シンポジウムは古田先生(東方史学会)が主催したもので、資金集めから企画立案、関係者との交渉など、先生が押し進められたものです。「趣意書」はわたしが持っていなかったもので、今では貴重な資料です。古田先生や深津さんのご遺志に応えることにもなると思いますので、ここに同文の一部を抜粋し、その要旨を紹介します。

 「邪馬台国」徹底論争 古代史討論シンポジウム 趣意書(抜粋)

 わが国の先祖の歴史は晦冥の中にある。――研究の途次、そのように感ずること、稀ではありません。
その原因の一焦点が、いわゆる「邪馬台国」問題にあること、周知の通りです。近畿説・九州説その他各説競いながら、なお、日本国民の歴史教養の一致点を見出せずにいること、後代に対して、わたしたちの時代の責務を果たしていると、敢然として言いうるでしょうか。
〔中略〕

 けれども、遺憾なことに、歴史学界の名において、純学術的に当問題を一定期間、討議する、そういう機会を見なくなって、すでに久しいのです。
かつて故長沼賢海氏(九州大学名誉教授)は、次のように指摘されました。
「昔、志賀島出土の金印について、偽作説がでた。そこで真偽対立をめぐって大学内外の学者、一般の書家、金工細工師の方々をお招きして、朝から晩まで連日にわたって討論した。そして真作への帰趨を得たのである。今、なぜ、「邪馬台国」についても、それをやらぬか」

 九十歳の明治人の気迫あふれる叱咤とお聞きしました。〔中略〕立論の正面きっての対立を尊び、在官・在野を一切問わず、その身分(職業・性、等)を片鱗も区別せず、連日徹底した討論を行い、記録して永遠の後世に残す。この切実な企画を、ささやかな一隅の力にすぎませんが、敢えて今回も行うことを決意致しました。〔後略〕

 平成三年二月十五日
昭和薬科大学文化史研究室(東方史学会)
教授 古田武彦
助手 原田 実

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