第3452話 2025/03/18

『三国志』

「天柱山高峻二十余里」の論点 (6)

 ―天柱山標高「1860m」の出典閲覧―

 今の中国には、なぜか複数の「天柱山」があります。古田先生は『史記』や『三国志』に見える「天柱山」を大別山脈の最高峰とされ、著書にはその高さを1860mとしています。ところが大別山脈最高峰の白馬尖は1777mです(注①)。この違いが気になっていましたので、先生の著書(注②)で出典とされている「世界大地図(小学館『大日本百科辞典』別巻)や「『中華人民共和国地図』1971年、北京」を探していたところ、なんと『世界大地図』(小学館、1972年)がご近所の京都府立医大付属図書館にあることがわかり、昨日、閲覧してきました。同書は『ジャポニカ大日本百科辞典』別巻「23巻」の『世界大地図』のことでした。

 同書索引には「天柱山」がなく、中国安徽省を含む地図中にもそのような山名は見えません。先生は何を根拠に1860mとされたのだろうかと目を凝らして探し続けたところ、大別山脈中に小さな文字で「▲1860」とありました。その位置は潜山(チエンシャン)の西で、白馬尖の位置とも異なるように見えました。また、安徽省潜山市の天柱山(約1489m)の場所よりもやや南のように見えます。しかしながら大別山脈中にはこの他に山の高さを示す数字はありません。従って、古田先生はこの「▲1860」を大別山脈の最高峰と見なしたものと思われます。おそらく、これが1970年頃の中国の測量技術に基づく数値ではないでしょうか。先生の著書も1975年出版ですから、当時としてはこの「1860」という数値が、大別山脈最高峰の公的な標高・海抜(注③)であったと思われます。

 こうして、古田先生が採用した1860mが、当時の地図に記された根拠を持つ数値であることを確認できました。決して、古田先生の誤解ではなく、架空の数値でもなかったのです。古田先生(の著書の数値)を「信じとおす」とは、このように一つ一つ実証的に調べ抜くことを意味し、決して古田先生や古田説を「盲信する」ことではないのです。(つづく)

(注)
①WEB辞書『Baidu百科』「白馬尖」によれば大別山の主峰であり、海抜1777mとある。
②古田武彦『邪馬壹国の論理』朝日新聞社、1975年。「世界大地図」(小学館『大日本百科辞典』別巻)とある。
古田武彦『邪馬一国の証明』角川書店、1980年。「『中華人民共和国地図』1971年、北京」とある。
③標高と海抜は厳密には異なる概念だが、当時の中国での定義については未詳。

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