令和八年の抱負 (1)
―「秋田孝季遺訓」の編纂―
「古田史学の会」会員の皆様、友人、読者の皆様、新年のご挨拶を申し上げます。令和八年も「洛中洛外日記」をよろしくお願いいたします。
昨年11月、持病治療のため入院手術しました。お陰様で一週間で退院でき、寿命も延びたようです。延びた寿命をどのように使うべきか、病院のベッドで、古田先生がやり残された研究を引き継ぐのは当然として、それは何だろうかと考え続けました。
先生最後の公の場となったKBS京都放送のラジオ番組「本日、米團治日和。」の収録にお供したとき、対談の最後に桂米團治さんと次のようなやりとりがありました(注①)。
米團治 本当に、話は尽きませんね。湯水のごとく出てまいります。――まだまだ先生、研究続けられますよね。
古田 ハハハ、まあ、もう今年ぐらいでお陀仏になると思いますが……。
米團治 何をおっしゃいます。でも、たくさんのお弟子さん……。
古田 こういうね、素晴らしい後継者が出てますからね。私は安心して……。ま、古田が死んだら、と楽しみにしている人もおると思うんですがね。しかし、私が死んだからってね、ここまで分かって来たら、ストップはかけられませんわね。
米團治 うちの親父(桂米朝)と同世代ということで、そんなよしみもありまして、KBS京都に来ていただきまして、本当にありがとうございました。お弟子さんの古賀達也さんもどうもありがとうございました。
二時間に及んだ収録(2015年8月27日)の後、対談は三回(9月9日、16日、23日)に分けて放送され、翌月の10月14日に先生は亡くなられました。
先生が〝弟子〟らに託したこととは何か、残された寿命で何をなすべきか、先生没後10年に当たる昨年、病床で考えました。そして、最初に思い浮かんだのが、『東日流外三郡誌』の編者、秋田孝季伝の筆を執ることでした。わたし一人でできる事業ではありませんので、志を継ぐ後学のために、秋田孝季の遺訓を『東日流外三郡誌』などから抜粋する作業だけでも始めることを改めて決意しました。
この思いを『東日流外三郡誌の逆襲』(八幡書店、2025年)の掉尾に記しています(注②)。
〝あるとき、古田先生はわたしにこう言われた。「わたしは『秋田孝季』を書きたいのです」と。東日流外三郡誌の編者、秋田孝季の人生と思想を伝記として世に出すことを願っておられたのだ。思うにこれは、古田先生の東北大学時代の恩師、村岡典嗣(むらおかつねつぐ)先生が二十代の頃に書かれた名著『本居宣長』を意識されてのことであろう。
それを果たせないまま先生は二〇一五年に逝去された。ミネルヴァ書房の杉田社長が二〇一六年の八王子セミナーにリモート参加し、和田家文書に関する著作を古田先生に書いていただく予定だったことを明らかにされた。恐らく、それこそが『秋田孝季』だったのではあるまいか。先生が遺した『秋田孝季』の筆を、わたしたち門下の誰かが握り、繋がねばならない。その一著が世に出るとき、東日流外三郡誌に関わった、冥界を彷徨い続ける人々の魂に、ひとつの安寧が訪れることを信じている。〟
令和八年、新年の抱負の一つです。(つづく)
(注)
①桂米團治・古田武彦・古賀達也「古代史対談」『古田武彦は死なず』古田史学の会編、明石書店、2016年(『古代に真実を求めて』19集)。
②古賀達也「謝辞に代えて ―冥界を彷徨う魂たちへ―」『東日流外三郡誌の逆襲』八幡書店、2025年。
〖写真説明〗『古田武彦は死なず』。米團治さんの還暦記念パーティーにて(2018.12.20)。