第2576話 2021/09/21

『東日流外三郡誌』真実の語り部(2)

 『東日流外三郡誌』が初めて本格的に世に出たのは、『市浦村史』の資料編(注①)として収録されたときです。その『市浦村史』を刊行された当時の市浦村々長の白川治三郎さん(昭和四六年から3期12年村長を務められた)からお手紙をいただきました。というのも、安本美典氏責任編集『季刊邪馬台国』52号(注②)に掲載された「虚妄の偽作物『東日流外三郡誌』が世に出るまで」という記事で、白川さんに対して、秘宝探しのために公費を支出したなどという誹謗中傷が同誌編集部からなされたため、白川さんの反論を御寄稿いただいたものです。
 秘宝探しのために公費を支出したなどという『季刊邪馬台国』の記事は、事実無根の中傷であり、村の公費支出が事実ならば、記録が残されているはずです。議会の承認がなければそのような支出を村長個人で決められるものでもありません。あまりにひどい中傷記事でしたので、『古田史学会報』6号(注③)に白川さんからの反論を掲載しました。その一部を転載します。

【以下、転載】
○和田氏から発掘調査の費用を出してほしいと申し出たこと。
 この話は村にもちかけられたこともないし、従って公費を出す訳はない。
 他の五~六人のひとが、また藤本氏が多額出資したと言うことも聞いていない。その後秘宝が出ないからと言って、和田氏といざこざがあったと言うことも聞いていない。
 また、村では秘宝探しの発掘もしていないから、和田氏を追及する根拠もない。 

○『東日流外三郡誌』と市浦村関係者が名付けたと言うこと。
 『東日流外三郡誌』を初めて見たのは、昭和四十六年の秋頃と思う。場所は市浦村役場の村長室です。資料は一冊がコピーされてから次の一冊が届けられるので、日数の間隔はかなり費やされている。その都度一冊ずつ、全部読み切らず断片的に見ていた。
 私の記憶では最初から史料に『東日流外三郡誌』と書かれていたと思う。

○秘宝探しに公費支出した責任逃れの為、『外三郡誌』を刊行したと言うこと。
 資料(『東日流外三郡誌』)はこれまでの日本史に書かれなかった、安倍安東氏にまつわる極めて貴重と思われる内容が多く、これを一般に公開して世論を喚起し、その真偽の程を学者の研究にゆだねると共に、安倍安東氏の政策の根底には、混迷せる国際情勢に於てこれからは真に平和な国際社会醸成の為の人権確立や、正しい宗教観が貫かれていること等を世に喧伝したいという目的があった。責任逃れ等とは、とんでもないことだ。

○仏像その他出土品を分けた話。
 村として秘宝発掘の事実はないし、他にも仏像その他発掘による出土品のことは全く聞いていない。従って、これらを出資者が分けたと言う話は全く根拠がない。
【転載おわり】

 以上のような反論を掲載した『古田史学会報』に対して、偽作論者からは〝白川氏はそのようなことは言っていない、『古田史学会報』の内容は詐術〟とする中傷報道がなされました(注④)。そこで『古田史学会報』16号に白川さんのお手紙のコピー(冒頭部分)をそのまま掲載しました。なぜ偽作論者達は〝すぐにばれる嘘〟をつくのか、不思議に思ったものです。こうしたなりふりかまわぬ偽作論者の攻撃は、真実を語る現地の人々の証言に、彼らが追い詰められている証拠と思われました。(つづく)

(注)
①『市浦村史資料編』(上・中・下)市浦村史編纂委員会、昭和五〇年(1975)~昭和五二年(1977)。『市浦村史資料編』刊行以前、『車力村史』(1973年刊。つがる市)にも『東日流外三郡誌』の一部が掲載されているようです。
②「なぜ原本を出さぬ、詐術にまみれた三郡誌騒動」『ゼンボウ』1996年9月号。
③白川治三郎「『季刊邪馬台国』の中傷記事に反論する『東日流外三郡誌』公刊の真実」『古田史学会報』6号、1995年4月。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou/kaihou06.html
④古賀達也「古田史学会報への中傷に反論する 地に堕ちた偽作キャンペーン」『古田史学会報』16号、1996年10月。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou16/koga16.html

【写真】白川元村長からの手紙(部分)。『市浦村史資料編』他。

白川元村長からの手紙(部分)

白川元村長からの手紙(部分)

『市浦村史資料編』他

『市浦村史資料編』他

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