原稿採否基準、新規性と進歩性
福岡県での仕事を終え、鹿児島中央駅に向かう九州新幹線の車中で書いています。車窓からの景色はずいぶん薄暗くなりました。今日、九州南部が梅雨入りしたとのことです。
先月の関西例会後の懇親会で、常連の会員さんから『古田史学会報』に掲載された某論文について、「古田史学の会」としてその論文の説に賛成しているのかという趣旨のご質問をいただきました。その質問をされた方は『古田史学会報』に採用されたということは編集部から承認されたのだから、その論文の説を編集部は賛成したものと理解されていたようです。こうした誤解は他の会員の皆様にもあるかもしれません。
よい機会ですので、学術誌などの採用基準と学問研究のあり方について、わたしの考えを説明させていただきたいと思います。『古田史学会報』に採用する論稿の評価基準については、「洛中洛外日記」1327話(2017/01/23)「研究論文の進歩性と新規性」でも説明してきたところです。学術論文の基本的な条件としては、史料根拠が明確なこと、論証が成立していること、先行説をふまえていること、引用元の出典が明示されていることなどがありますが、もっと重要な視点は新規性と進歩性がその論文にあるのかということです。
新規性とは今までにない新しい説であること、あるいは新しい視点が含まれていることなどです。これは簡単ですからご理解いただけるでしょう。次に進歩性の有無が問われます。その新説により学問研究が進展するのかという視点です。たとえば、その新説により従来説では説明できなかった問題や矛盾していた課題がうまく説明できる、あるいはそこで提起された仮説や方法論が他の問題解決に役立つ、または他の研究者に大きな刺激を与える可能性があるという視点です。
こうした新規性と進歩性が優れている、画期的であると認められれば、仮に論証や史料根拠が不十分であっても採用されるケースがあります。結果的にその新説が間違いであったとしても、広く紹介した方が学問の発展に寄与すると考えるからです。
『古田史学会報』ではそれほど厳しい査読はしませんが、『古代に真実を求めて』では採用のハードルが高く、編集部でも激論が交わされることがあります。しかし、その採否検討にあたり、わたしや編集委員の意見や説に対して反対か賛成、あるいは不利・有利といった判断で採否が決まることはありません。ですから、採用されたからといって、編集部や「古田史学の会」がその説を支持していることを意味しません。しかし、掲載に値する新規性や進歩性を有していると評価されていることは当然です。
以上のように、わたしは考えていますが、抽象論でわかりにくい説明かもしれません。「洛中洛外日記」1327話ではもう少し具体的に解説していますので、その部分を転載します。ご参考まで。
【転載】
(前略)「2016年の回顧『研究』編」で紹介した論文①の正木稿を例に、具体的に解説します。正木さんの「『近江朝年号』の実在について」は、それまでの九州年号研究において、後代における誤記誤伝として研究の対象とされることがほとんどなかった「中元」「果安」という年号を真正面から取り上げられ、「九州王朝系近江朝」という新概念を提起されたものでした。従って、「新規性」については問題ありません。
また「近江朝」や「壬申の乱」、「不改の常典」など古代史研究に於いて多くの謎に包まれていたテーマについて、解決のための新たな視点を提起するという「進歩性」も有していました。史料根拠も明白ですし、論証過程に極端な恣意性や無理もなく、一応論証は成立しています。
もちろん、わたしが発表していた「九州王朝の近江遷都」説とも異なっていたのですが、わたしの仮説よりも有力と思い、その理由を解説した拙稿「九州王朝を継承した近江朝廷 -正木新説の展開と考察-」を執筆したほどです。〔番外〕として拙稿を併記したのも、それほど正木稿のインパクトが強かったからに他なりません。
正木説の当否はこれからの論争により検証されることと思いますが、7〜8世紀における九州王朝から大和朝廷への王朝交代時期の歴史の真相に迫る上で、この正木説の進歩性と新規性は2016年に発表された論文の中でも際だったものと、わたしは考えています。(後略)