『九州倭国通信』No.210の紹介
友好団体「九州古代史の会」の会報『九州倭国通信』No.210が届きました。同号には拙稿「巨勢楲田朝臣の灌漑伝承 ―新撰姓氏録の中の九州王朝―」を掲載していただきました。拙稿は、『新撰姓氏録』「右京皇別 上」に見える、巨勢楲田朝臣(こせのひたのあそん)による七世紀中頃の灌漑事業記事(注①)を、浮羽郡における九州王朝系伝承としたものです。「九州古代史の会」は福岡県を中心として活動する団体ですので、わたしはなるべく九州地方に関係した論稿の投稿を心がけています。
当号には兼川晋さんのご逝去(本年二月五日没)を悼む記事が掲載されており、同氏が亡くなられたことを知りました。兼川さんは福岡市のテレビ局(テレビ西日本)で活躍され、「九州古代史の会」の前身「市民の古代研究会・九州支部」創設者のお一人です。古くからの古田先生の支持者で、古代史の本の編訳(注②)もされています。「市民の古代研究会・九州支部」はわたしが「市民の古代研究会」事務局長時代に創設されたこともあり、古田先生をお招きして創立記念講演会を福岡市で開催したことは懐かしい思い出です。
古くからの古田史学支持者や古田ファンが次々と物故され、寂しい限りです。残された者の使命として、古田先生の学問・学説、そしてその学問精神を過たず後世に伝えなければと、改めて決意しました。兼川さんのご冥福をお祈り申し上げます。
(注)
①『新撰姓氏録』右京皇別上に次の記事が見える。
「巨勢楲田朝臣
雄柄宿禰四世孫稻茂臣之後也。男荒人。天豊財重日足姫天皇〔諡皇極〕御世。遣佃葛城長田。其地野上。漑水難至。荒人能解機術。始造長楲。川水灌田。天皇大悦。賜楲田臣姓也。日本紀漏。」
②李鍾恒著・兼川晋訳『韓半島からきた倭国』新泉社、1990年。