第2672話 2022/02/01

『東京古田会ニュース』No.202の紹介

 昨日、『東京古田会ニュース』202号が届きました。拙稿「古代山城研究の最前線 ―前期難波宮と鬼ノ城の設計尺―」を掲載していただきました。
 昨年11月の八王子セミナー(注①)で、古代山城の造営を五世紀の倭の五王時代とする意見や古代山城は詳しい調査がなされておらず年代を決定できるような出土品はないとする見解が出されていましたので、同論稿では最新の山城研究の成果を紹介し、多くの出土物に基づき七世紀後半から八世紀の築城であるとする見解が考古学者から有力視されていることを説明しました。同時に鬼ノ城や鞠智城などは八世紀になると土器が激減し、廃絶されたとする説があることから、この現象を701年の九州王朝から大和朝廷への王朝交替の痕跡とする説を発表しました。
 更に、鬼ノ城の礎石建物の造営に前期難波宮と同じ基準尺(29.2cm)が採用されており、このことから従来の土器編年では八世紀とされた同遺構が七世紀後半に遡る可能性があるとする調査報告書(注②)の見解を紹介しました。この事実は、前期難波宮と鬼ノ城が共に九州王朝系勢力による造営であること、七世紀の土器編年に四半世紀ほどのぶれがあることを示唆しているとしました。
 古田史学の会・関西例会などで報告されてきた服部静尚さんの「小田富士雄氏の瓦編年に疑問を呈する」も掲載されており、たとえば北部九州出土の百済系単弁瓦を七世紀後半以降とする従来の編年は誤っており、七世紀前半まで遡るとされました。古田学派内に於いて、エビデンスを提示した考古学論文が発表される傾向は、文献史料の解釈論にとどまらない多元史観・九州王朝説の進展をうかがわせるものではないでしょうか。

(注)
古田武彦記念 古代史セミナー2021 ―「倭の五王」の時代― 実施報告。公益財団法人大学セミナーハウス主催、2021年11月13~14日。
②『岡山県埋蔵文化財発掘調査報告書236 史跡鬼城山2』岡山県教育委員会、2013年。

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