冶金学と漢字学の古代史
本日の関西例会に参加された方は果報者です。冶金学と漢字学の講義を聴けたのですから。
最初の報告者の服部さん(『古田史学会報』次期編集担当者)から、「わたしの専門は冶金です」という挨拶で切り出された弥生時代の製鉄や出土鉄器の報告はまさに冶金学の講義そのものでした。鉄固有の個体相での相変化など、冶金学による「焼き入れ」「焼きなまし」の解説は勉強になりました。
そして報告の結論は、倭国の中心は北部九州であり、奈良県(畿内)は全弥生時代を通して「鉄器真空地帯」というものでした。発見されているすべての弥生時代の鉄器出土分布図や製鉄遺跡のデータを示され、北部九州の圧倒的濃密分布と畿内の空白を示す分布図は「邪馬台国」畿内説なるものが全く成立の余地の無 いことを明白に示すものでした。わかりやすく見事な報告でしたので、『古田史学会報』に投稿されるよう要請しました。
次の講義は出野さんによる漢字の成立・発展史でした。冒頭、中国で入手された「骨卜」の高価で精密なレプリカや内側に金文がほどこされた青銅器のレプリ カを見せていただきました。甲骨文字から始まった漢字が、金文・篆書・隷書へと進化する様子について説明はわかりやすく有意義でした。
わたしからの次の質問にも興味深い回答がなされました。邪馬壹国・卑弥呼の時代に中国と倭国で交わされた詔書や上表文の字体は何だったかという質問に対して、おそらく隷書だったとのことで、根拠としてはその時代の文字遺物の主流が隷書だということでした。
次に、後漢代に成立した『説文解字』により、当時の音韻復元は可能かという質問に対しても、音韻復元はできないと明快な回答がなされました。現在残され ている『説文解字』は後代(宋)の解説が付けられており、その解説中の「反切」(音韻表記)を『説文解字』原文と勘違いしている人も多いとのことでした。
最後に、「室見川の銘版」についての出野さんの見解をたずねたところ、銘文の完成度の高さや、国内で同様のものが6~7世紀の墓誌が出現するまで発見さ れていないことから、同銘版は中国で製造され、倭国へ贈られたものと考えるのが妥当とのことでした。古田先生の見解(倭国産説)とは異なっており、今後の 検討や議論の展開が楽しみです。
この他にも優れた研究発表がありましたので、改めて紹介したいと考えています。懇親会では中国曲阜から一時帰国されている青木英利さんから、中国のインターネット状況(国家による検閲など)について、横田さん(古田史学の会・全国世話人、インターネット担当)とともにお聞きすることができ、とても参考になりました。「古田史学の会」HPの中国語版「史乃路」の運営に役立てたいと思います。
7月例会の発表テーマは次の通りでした。
〔7月度関西例会の内容〕
1). 鉄の歴史と九州王朝(八尾市・服部静尚)
2). 二倍年齢の検討(八尾市・服部静尚)
3). 「唐軍進駐」への素朴な疑問(芦屋市・安随俊昌)
4). 「景初」鏡と「正始」鏡はいつ何のために作られたか(京都市・岡下英男)
5). 卑弥呼は新羅に使者を派遣したか?(姫路市・野田利郎)
6). 漢字の誕生と変遷(奈良市・出野正)
7). 『魏志倭人伝』と邪馬壹国への道(川西市・正木裕)
○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
古田先生近況(論文執筆中「村岡典嗣との対話」他、10/24松本深志高校で講演、11/08八王子大学セミナー)・『古代は輝いていたⅢ』発刊・『古 代に真実を求めて』17集編集中・森田悌『長屋王の謎 北宮木簡は語る』を読む・寺西貞弘『近世紀州文化史雑考』を読む・石川邦一氏提供「祢軍墓誌」関係文献・水野氏の祖父、邦次郎氏が関わられたJR中央線笹子トンネル工事・その他