第1105話 2015/12/11

中山千夏さんからの追悼文

 古田先生の追悼文が「古田史学の会」へ続々と届いていますが、古くからの古田ファンの中山千夏さんからも追悼文をいただきました。古田先生との出会いから綴られた心温まる内容でした。
 わたしは中山さんと一度だけお会いしたことがあります。それは信州白樺湖畔の昭和薬科大学諏訪校舎で開催された「邪馬台国」徹底論争のシンポジウム(1991年)のときでした。わたしは事務方を担当していましたので、御来賓の方のお世話もしていたのですが、そのシンポジウムのトークセッションに中山さんが参加されたのです。直接にはそれほど中山さんとお話しする機会は無かったように記憶していますが、中山さんのお付きの若い女性(マネージャーさんかも)がなかなかの美人で驚きました。
 その後、中山さんは『新古事記伝』という初心者にもわかりやすい『古事記』の解説本を出されたのですが、当時、「市民の古代研究会」にその出版記念パーティーの招待状をいただきました。会場が東京だったことと勤務の都合で出席できなかったので、かわりに関東の安藤哲朗さん(現・多元的古代研究会会長)に代理で出席していただきました。
 後日、パーティーの様子を録音したテープが届いたのですが、詩人で作家の辻井喬さん(つじい・たかし。1927-2013年)が出席され、お祝いのスピーチをされていたのです。わたしは大の辻井喬ファンでしたので、「しまった。無理してでも行けばよかった」と後悔したものです。
 辻井喬さんは詩集『異邦人』で室生犀星賞(1961年)、自伝的小説『いつもと同じ春』で平林たい子賞(1984年)、『虹の岬』で谷崎潤一郎賞(1994年)を受賞された優れた作家であると同時に、本名は堤清二という当時脚光を浴びていた経営者でした。西武セゾングループの代表で、バルコなど若者文化の最先端を切り開く文化人でもありました。とりわけ新進のコピーライター糸井重里さんを起用して「おいしい生活」(西武百貨店)という、その後の日本語にも影響を与えた名コピーを世に広めたことは有名です。
 出版記念バーティーに辻井喬さんが出席されたほどですから、中山千夏さんの交友関係の広さやお人柄がよくうかがえました。古田先生との出会いも、『「邪馬台国」はなかった』に対する質問のお手紙を先生に出されたことがきっかけでした。そうした経緯が追悼文には記されており、追悼会でご披露し『古代に真実を求めて』19集に掲載させていただきます。

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