『古事記』の中の「悪人」
今朝は、久留米大学公開講座(注①)での講演のため、博多に向かう新幹線のぞみの車中でこの「洛中洛外日記」を書いています。
昨日、四半世紀ぶりに読んだ河田光夫氏の『親鸞と被差別民衆』(注②)に面白いことが紹介されていました。氏は『歎異抄』に見える「悪人」という用語の意味を実証的に調査され、親鸞の時代の「悪人」とは主に被差別民のこととする説を発表されたのですが、同書の「史料」(98頁、113頁)によれば、『古事記』に「悪人」という用語が使われており、それは「蝦夷」を指しているとのこと。そこで、新幹線車中で『古事記』を調べてみると、景行記の倭健命の言葉として次の「悪人」記事がありました。
〝「天皇既に吾死ねと思ほす所以か、何しかも西の方の悪しき人等を撃ちに遣はして、返り参上り来し間、未だ幾時も経(あ)らねば、軍衆を賜はずて、今更に東の方十二道の悪しき人等を平(ことむ)けに遣はすらむ。これによりて思惟(おも)へば、なほ吾既に死ねと思ほしめすなり。」とまをしたまひて、患(うれ)ひ泣きて罷ります時に、倭比賣命、草薙剣を賜ひ、また御嚢を賜ひて、「もし急の事あらば、この嚢口を解きたまへ。」と詔りたまひき。〟『古事記』ワイド版岩波文庫、1991年。121~122頁
この後に「荒ぶる蝦夷等を言(こと)向け」とありますから、確かに『古事記』では蝦夷を「悪しき人」(原文は「悪人」)としていますが、蝦夷の他にも「東の国に幸(い)でまして、悉に山河の荒ぶる神、また伏(まつろ)はぬ人等を言向け和平(やは)したまひき。」とあり、東国の「伏はぬ人」も「悪人」に含まれると見るべきでしょう。更には、冒頭の倭建命の言葉に「西の方の悪しき人」とあるように、「天皇」に「伏はぬ人」は「悪人」と表現されていると思われます。
以上の史料状況と考察から、少なくとも『古事記』編纂頃の大和朝廷では、自らに従わない抵抗勢力、恐らくは九州王朝の徹底交戦派も「悪人」と呼んでいたのではないでしょうか。従って、古代に於ける「悪人」は主には政治的敵対勢力を指していたと考えてよいようです。河田氏による『歎異抄』などの研究によれば、被差別民が「悪人」と呼ばれていたとのことですから、古代の「悪人」と近現代に至るいわゆる被差別部落と古墳の分布が相似する傾向は(注③)、両者に何らかの関係があることを示しているのかも知れません。
(注)
①久留米大学御井校舎での公開講座(10月3日午後)。テーマは「古代戸籍に記された超・長寿の謎 ―古今東西の超高齢者―」。「洛中洛外日記」2551話(2021/08/28)〝10月3日、久留米大学公開講座のレジュメ〟を参照されたい。
②河田光夫氏『親鸞と被差別民衆』明石書店、1994年。
③古田武彦『真実に悔いなし』ミネルヴァ書房、平成二五年(2013)。134頁「被差別部落と古墳分布の相似」。