新元号「令和」を言祝ぐ
本日、菅官房長官が新しい元号「令和(れいわ)」を発表されました。『万葉集』から「令」と「和」をとったとのこと。出典は下記の『万葉集』巻五、天平二年正月十三日に大宰府での梅花の宴で詠まれた「梅花三十二首」の序に見える「初春令月」で、漢籍ではなく日本の古典から採られたことに感慨深いものがありました。更に九州王朝の都であった太宰府で詠まれた歌ということにも因縁めいたものを感じました。
初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。
〈読み下し〉初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮(はい)後の香を薫(かお)らす。
というのも、古田先生は生前に日本の年号も漢籍からではなく、文化的にも独立して日本独自のものが望ましいということを語っておられたからです。そしてその一例として「富士(ふじ)」や「桜(さくら)」を挙げておられました。先生も冥界で「令和」選定を喜ばれていると思います。
また「令和」改元により、年号に国民の関心が寄せられることもよいことと思います。近畿天皇家以前の年号「九州年号(倭国年号)」にまで関心の輪が拡がるように、「古田史学の会」で発行した『「九州年号」の研究』(ミネルヴァ書房)と『失われた倭国年号《大和朝廷以前》』(明石書店)の二冊を歴史ファンに紹介していきたいと考えています。
最後にお詫びを一つ。両書を各地の講演会で紹介したとき、「平成」の次の年号について、わたしの予想を紹介したのですが、残念ながらかすりもしませんでした。「令」の字は全くの想定外でしたし、「和」は「昭和」とかぶるので採用されないと説明してきました。「平成」改元のときは「平」の字が採用されることを、わたしは的中させたのですが、今回は見事に外れました。皆様、申し訳ありませんでした。