前期難波宮「天武朝」造営説への問い(1)
学問は批判を歓迎し、真摯な論争は研究を深化させると、わたしは考えています。ですから、わたしが10年ほど前から提唱してきた前期難波宮九州王朝副都説への学問的で真摯な批判は大歓迎です。聞くところによれば、関東でも前期難波宮九州王朝副都説への関心が高まり、賛否両論が出されているとのことで、とても感謝しています。
思えば、2013年に開催された最後の「八王子セミナー」で、参加者からの「前期難波宮九州王朝副都説についてどのように考えられていますか」との質問に対して、「検討しなければならない」と古田先生は回答されました。その先生の学問的「遺言」ともいうべき言葉を関東の古田学派の皆さんにより実践していただいているのであれば、とても有り難いことです。もちろんその結果が「前期難波宮副都説は間違っている」というものであっても全くかまいません。学問にはそうした真摯な論争が必要だからです。
そこでこの検討や論争がより正確に効率的に進められるよう論点整理を兼ねて、前期難波宮九州王朝副都説への反対意見として提起された前期難波宮「天武朝」造営説に焦点を絞って解説し、その疑問点を指摘したいと思います。関東や読者の皆さんの論議検討のお役に立てば幸いです。(つづく)