第574話 2013/07/27

へんてこな大極殿、エビノコ郭

 吉田歓著『古代の都はどうつくられたか 中国・日本・朝鮮・渤海』(吉川弘文館、2011年)の89頁に掲載されている飛鳥浄御原宮(飛鳥宮3-B期)の平面図には、いびつな台形の宮殿区画(内郭)の南東に、東西に長い建造物「エビノコ郭」が記されています。このエビノコ郭も内郭と同様に周囲が塀で囲まれており、その中に飛鳥宮では最大規模の建造物があります。
 このエビノコ郭を『日本書紀』天武紀に見える「大極殿」とする見方が有力となっているようですが、このエビノコ郭を囲む塀も、よく見ると長方形ではなく、内郭と同様に台形です。しかも、その塀の西側部分に門があり、南側には門は発見されていません。
 大極殿の「大極」とは北極星を中心とする星座を意味するとされ、宇宙の中心であり、大極殿も王朝の中心権力者の宮殿にふさわしいものであるはずです。ところが飛鳥宮のエビノコ郭は飛鳥宮の南東に位置し、しかも南側ではなく、西側に門があるというとてもへんてこな宮殿なのです。しかも平面図は台形です。先行して造営された前期難波宮や大津宮は宮殿の南側に正門があり、「天子南面」の思想性に基づいているのに、飛鳥宮のこんなへんてこな宮殿が大極殿とはとても思われません。
 このように飛鳥宮やエビノコ郭が日本列島の代表王朝の宮殿としてふさわしくないことは、「一目瞭然」なのです。既に難波には大規模で見事な朝堂院を持つ前期難波宮があり、天智の時代には同様に立派に大津宮(壬申の乱で焼失)があったにもかかわらず、斉明や天武・持統らの飛鳥宮はやはり見劣りがするのです。こうした宮殿様式の比較からも、前期難波宮九州王朝副都説が有力仮説であることをご理解いただけるのではないでしょうか。

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