第2057話 2019/12/25

『太平記』古写本の「壬申の乱」異説

 12月の関西例会では、不思議な伝承(史料)が西村秀己さん(古田史学の会・全国世話人、高松市)から紹介されました。それは、『太平記』に「二萬(にま)の郷(さと)」について説明する件(くだり)があり、その地で天智天皇と大友皇子が争ったと同古写本には記されており、新しい写本では天武天皇と大友皇子との争いに書き直されているというのです。
 西村さんのこの報告を聞いて、わたしはフィロロギーのテーマとして関心をいだきました。それは、どのような歴史事実があればこのような伝承(史料事実)が発生するのだろうか、あるいはこうした伝承(史料事実)への変化が起こりうるのだろうかという問題です。
 この「二萬の郷」の地名説話については、「備中国風土記逸文」の記事が著名です。同風土記逸文には、天智天皇が白村江戦に参戦するために「邇摩郷」に来て兵士を二万人集めたが、斉明天皇が筑紫で崩御されたため、引き返したという説話が記されています。その説話に登場するのは天智天皇であり、その地で戦闘があったとも記されていません。ところが、『太平記』古写本では天智天皇と大友皇子の戦争譚となっており、新写本では天武天皇と大友皇子の争い(壬申の乱)説話に変化しているわけです。
 古写本の「天智」が新写本で「天武」に〝改変〟されている理由はよくわかります。『日本書紀』などの「壬申の乱」を知っている書写者(インテリ)であれば、古写本の「天智」を誤記・誤写と思い、「天武」に書き換えることが起こりうるからです。実際、年代記などの諸史料に「天智」と「天武」の誤記・誤写と思われる状況が散見されますから、「これは間違いであろう」とその読者が判断し、書き改めることは普通に起こりうることと思われます。『太平記』の場合も同様の現象が発生したと考えてもよいでしょう。
 しかし、古写本にあるような、「天智」と「大友皇子」がこの地で戦ったなどという伝承がなぜ発生したのでしょうか。風土記逸文には「天智」が登場していますから、『太平記』に「天智」が登場することは理解できますが、その子供の「大友皇子」も登場し、こともあろうに両者が戦うなどという伝承は、どのような歴史事実の反映なのでしょうか。とても不思議です。
 このように西村さんが〝発見〟された『太平記』の異説「壬申の乱」は、フィロロギーという学問領域での格好の研究テーマ(頭の体操)と言えそうです。


第2056話 2019/12/23

「関西例会」行く人、来る人

 12月21日、「古田史学の会」関西例会がI-siteなんばで開催されました。1月はアネックスパル法円坂、2月と3月はI-siteなんばで開催します。
 1月は例会翌日の19日(日)午後に恒例の「新春古代史講演会」(会場:アネックスパル法円坂)も開催します。こちらにも、ぜひご参加下さい。
 「古田史学の会」関西例会は今月も初参加の方がありました。優れた研究発表や活発な学問論議に触れて、初参加の方が入会されることもあります。他方、転居やご高齢により参加できなくなる方もあります。今月の関西例会でもそのような出会いと別れがありました。
 岐阜県海津市から参加されていた高木善征さんが地元のお土産をたくさん持ってこられたので、その理由をたずねると、高齢のため関西例会への参加は今回を最後にするとのこと。聞けば、高木さんは82歳になられ、毎月のように一人で大阪まで行くことをご子息が心配されたためとのことでした。「古田史学の会」へは引き続き会員として残り、会の発展を祈っていますと、お別れの挨拶をされました。そして、例会参加者の拍手の中、会場を後にされました。感慨深い出会いと別れでした。
 今月も一段と面白いテーマや研究がいくつも発表されたのですが、その概要については別に紹介することにします。
 今回の例会発表は次の通りでした。なお、発表者はレジュメを40部作成されるようお願いします。発表希望者も増えていますので、早めに西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。

〔12月度関西例会の内容〕
①『太平記』の中の壬申の乱(高松市・西村秀己)
②蘇我氏と近畿天皇家との関係(八尾市・服部静尚)
③四天王寺と前期難波宮(茨木市・満田正賢)
④籠神社の鏡(京都市・岡下英男)
⑤「科野」の「高良社」と多元史観(上田市・吉村八洲男)
⑥大国主を助ける鼠のオノマトペの言葉(大山崎町・大原重雄)
⑦旧石器捏造事件を見抜いていた竹岡俊樹氏の『考古学基礎論』(雄山閣)の紹介(大山崎町・大原重雄)
⑧「帝紀(帝王本紀)」について(東大阪市・荻野秀公)
⑨万葉百九十九番歌の解釈上の残された課題について(川西市・正木 裕)

○01/12「新春ハイキング:初クルーズ(渡船)と初登山(昭和山・天保山)」への参加者募集(古田史学の会・全国世話人 西井健一郎)

○事務局長報告(川西市・正木 裕)
《会務報告》
◆会費納入状況、新入会員の報告・他
 『倭国古伝』の売れ行き好調で、読者の入会が続いている。高齢化により退会者も多く、会員拡大が急務。

◆「新春古代史講演会2020」(古田史学の会・共催)
 01/19 13:00〜17:00 会場:アネックスパル法円坂(大阪市教育会館)

【演題・講師】
○「難波宮・難波京の最新発掘成果」 13時30分〜15時
 高橋 工氏(一般財団法人大阪市文化財協会調査課長)
○「令和改元と万葉歌に隠された歴史」 15時10分〜16時40分
 正木 裕氏(大阪府立大学講師、古田史学の会・事務局長)

【参加費】1,000円 定員70名(事前予約不要)
【懇親会】当日、会場で受け付けます。(参加費は別途)
【共催団体】和泉史談会、古代大和史研究会、市民古代史の会・京都、誰も知らなかった古代史の会、古田史学の会、ほか

◆「古田史学の会」関西例会(第三土曜日開催) 参加費500円
 01/18 10:00〜17:00 会場:アネックスパル法円坂(大阪市教育会館)
 02/15 10:00〜17:00 会場:I-siteなんば 実施済み
 開催中止03/21 10:00〜17:00 会場:I-siteなんば開催中止
2/23新型コロナウイルス対策として、 I-siteなんばでの 古田史学の会・関西3月21日例会は開催中止となりました。
 開催中止04/18 10:00〜17:00 会場:ドーンセンター開催中止
 05/16 10:00〜17:00 会場:福島区民センター

《各講演会・研究会のご案内》
◆「誰も知らなかった古代史」(正木 裕さん主宰。会場:森ノ宮キューズモール) 参加費500円
 ※12月はお休み。
 01/31(金) 18:30〜20:00 「『日本書紀』一三〇〇年の欺瞞」講師:正木 裕さん。

◆「古代講演会in八尾」(会場:八尾市文化会館プリズムホール 近鉄八尾駅から徒歩5分) 参加費500円
 01/11(土) 13:30〜16:30  ①「卑弥呼の世界」②「飛鳥の謎-飛鳥浄御原宮はどこだ」講師:服部静尚さん。

開催順延4月11日(土)から開催順延し、6月13日になりました。
14001450 卑弥呼から倭の五王の世界
14551515 日本古代史報道の問題とマスコミの体質
15201620 蘇我・物部戦争と河内
16201630 質疑応答:スピーカー茂山憲史・服部静尚

八尾市文化会館プリズムホール〒581-0803 大阪府八尾市光町2−40
参加費500円

◆「古代大和史研究会」講演会(原 幸子代表) 参加費500円
 01/07(火) 10:00〜12:00 (会場:奈良新聞本社)
    「誰も知らなかった万葉歌(5)白村江敗戦と天智・近江朝挽歌」講師:正木 裕さん。
 02/04(火) 10:00〜12:00 (会場:奈良新聞本社)
    「持統の吉野・伊勢行幸と『日本書紀』の秘密」講師:正木 裕さん。

◆「和泉史談会」講演会(辻野安彦会長。会場:和泉市コミュニティーセンター) 参加費500円
 01/14(火) 14:00〜16:00 「九州王朝説と祝詞」講師:服部静尚さん。
 02/10(火) 14:00〜16:00 「誰も知らなかった万葉集」講師:正木 裕さん。

◆「市民古代史の会・京都」講演会(事務局:服部静尚さん・久冨直子さん)。毎月第三火曜日(会場:キャンパスプラザ京都) 参加費500円
 ※1月はお休み。
02/18(火) 18:30〜20:00 「能楽の中の古代史(2)本当は不思議な高砂」講師:正木 裕さん。

◆水曜研究会
 12/25(水) 13:00〜17:00 会場:豊中倶楽部自治会館


第2055話 2019/12/12

『古田史学会報』155号のご紹介

 『古田史学会報』155号が発行されましたので、ご紹介します。今号はバラエティーに富んだ、読んで面白い会報になりました。中でも、一面に掲載された岡下稿は関西例会で発表されたもので、『隋書』国伝の「国」は倭国のこととする骨太な論証による好論です。札幌市の阿部さんの論稿も、前期難波宮(京)は鞠智城の持つ「山城」と「都城」という性格を受け継いだとするもので、とても面白い視点だと思いました。

 155号に掲載された論稿は次の通りです。この他にも優れた投稿がありましたが、次号以降での掲載となりますので、ご了解下さい。また、投稿される方は字数制限(400字詰め原稿用紙15枚程度)に配慮され、テーマを絞り込んだ簡潔な原稿とされるようお願いします。

『古田史学会報』155号の内容
○『隋書』国伝を考える 京都市 岡下英男
○1月19日(日)「新春古代史講演会2020」のお知らせ
○「鞠智城」と「難波京」 札幌市 阿部周一
○三種の神器をヤマト王権は何時手に入れたのか 八尾市 服部静尚
○難波の都市化と九州王朝 京都市 古賀達也
○「壹」から始める古田史学・二十一
磐井没後の九州王朝1 古田史学の会事務局長 正木 裕
○なぜ蛇は神なのか? どうしてヤマタノオロチは切られるのか? 京都府大山崎町 大原重雄
○会費納入のお願い
○古田史学の会・関西 史跡めぐりハイキング
○古田史学の会・関西例会のご案内
○各種講演会のお知らせ
○『古田史学会報』原稿募集
○編集後記 西村秀己


第2054話 2019/12/11

三宅利喜男さんと三波春夫さんのこと(3)

 三宅利喜男さんは「市民の古代研究会」時代からの古田先生の支持者で、優れた古代史研究を発表されてきました。「古田史学の会」創立後には、反古田に変質した「市民の古代研究会」に見切りをつけて、「古田史学の会」へ参加されました。また、小林嘉朗さん(古田史学の会・副代表)のお話では、「古田史学の会・関西」の遺跡巡りハイキングの第1回目からの参加者(案内役)だったとのことです。
 三宅さんの研究論文で、最も衝撃を受けたものが「『新撰姓氏録』の証言」(『古田史学会報』29号、1998年12月)でした。『新撰姓氏録』に記された古代氏族の祖先が、特定の天皇に集中していることを指摘された論稿で、古田先生も天孫降臨の時代を推定する上で、優れた研究と評価されていました。
 こうした三宅さんの研究業績を埋もれさせることなく、この機会に顕彰したいと考え、インターネット担当の横田幸男さん(古田史学の会・全国世話人)に相談したところ、下記のように「三宅利喜男論集」をホームページ「新・古代学の扉」内に開設していただきました。是非、皆さんも見てみて下さい。

暫定リンク版【三宅利喜男論集】

1.「新撰姓氏録」の証言
『古代に真実を求めて』第三号(二〇〇〇年十一月)より現在編集中、本人の了解が取れれば発行します。
 要旨は、『古田史学会報』二十九号「『新撰姓氏録』の証言」と、『古田史学会報』四十七号「続『新撰姓氏録』の証言 — 神別より見る王権神話の二元構造」に記載されています。

2.小林よしのり作 漫画『戦争論』について
『古田史学会報』二十九号(一九九九年二月)

3.『播磨国風土記』と大帯考
『市民の古代』第十三集(一九九一年)

4.九州王朝説からみる『日本書紀』成書過程と区分の検証
『市民の古代』第十五集(一九九三年)

5.続『日本書紀』成書過程の検証 — 編年と外交記事の造作
『市民の古代』第十六集(一九九四年)

【書誌目録】

1.続『新撰姓氏録』の証言〔古代史の海(26), 59-61, 2001-12〕

2.音韻と区分論(特集 渡部正理氏の「『日本書紀の謎を解く』への疑問」)〔古代史の海(24), 13-15, 2001-06〕

3.『新撰姓氏録』の証言 三宅利喜男〔古代史の海(22), 31-36, 2000-12〕

4.「日本書紀」書き継ぎ論–『古事記』未完論に寄せて〔古代史の海(12), 60-69, 1998-06〕

5.主神論〔古代史の海(9), 42-47, 1997-09)

6.『日本書紀』に現れる古代朝鮮記事〔古代史の海(4), 55-59, 1996-06〕

7.倭の五王は大阪に眠る(越境としての古代3 , 2005-05)

他の書誌および『市民の古代研究』などは、後日確認いたします。


第2053話 2019/12/09

三宅利喜男さんと三波春夫さんのこと(2)

 正木さんからの返事によれば、三宅利喜男さんは2015年に退会されておられ、恐らくご高齢による退会と思われるとのことでした。確かに三宅さんは古田先生よりも年上と記憶していましたので、今では94歳になられていることと思います。会員名簿に残っている電話番号に電話をかけましたが、今は使われていないとのアナウンスが返ってきました。もし、三宅さんの現在の連絡先かご家族ご親戚をご存じの方がこの「洛中洛外日記」を読んでおられましたら、ご一報いただけないでしょうか。
 わたしが、テレビで三波春夫さんを見て、三宅さんのことを思い出したのは次のような経緯があったからです。終戦間際、三宅さんは十代の青年将校として朝鮮半島・満州方面に配属され、そのとき、三波春夫(1923-2001、本名:北詰文司)さんが同じ連隊におられ、浪曲師として軍隊内でも人気があったとのこと。
 このような戦地での思い出話を三宅さんからお聞きする機会がよくありました。貴重な体験談ですので、わたしもいろいろと教えていただいたものです。
 たとえば、ソ連軍が参戦したとき、満州の国境地帯に派遣されており、その情報を伝えることと、軍事機密の暗号解読書を持ち帰る必要があり、部隊を引き連れて命がけでソウルまで帰還したとのこと。平野部はソ連軍が展開しているため、山岳地帯ルートで脱出され、途中、子供を連れて満州から逃げているご婦人が疲労困ぱいで座り込んでいたので、持っていた岩塩を分けてあげたところ、幼子を負ぶったそのご婦人はもう一人の子供の手を引いて歩き出したという悲しい体験などをお聞きしたこともありました。関東軍司令部が兵士や民間人を置き去りにして、早々と逃げ帰ったと、三宅さんは憤っておられました。
 ソウル行きの最後の「病院列車」に間に合い、部隊は列車の屋根の上に乗ったが、全員血まみれだったそうです。「なぜ血まみれになったのですか」とたずねると、ソ連軍の包囲網を突破するため〝切り込み〟をかけたとのことでした。ソウルに着くと、要請されてソウル警察隊の設立と訓練を手伝い、その後に部隊全員を連れて帰国されました。そのときの兵士たちは全員が三宅さんより年長の古参兵だったのですが、三宅さん以外の将校は戦死したため、若い三宅さんが指揮を執り、「全員、日本に連れて帰る」と言うと、古参兵たちはよく命令に従ったそうです。
 無事に部隊を連れて帰国し、九州から大阪方面行きの鉄道に乗ったものの、広島の手前で列車は止まり、そこからは歩いて次の駅まで行ったとのこと。原爆で広島市内の鉄道が破壊され、市内一面が焼け野原だったそうです。もしかすると、そのとき古田先生も仙台から広島に戻られていた可能性がありそうです。
 こうした三宅さんの「軍歴」を、『古田史学会報』30号(1999年2月)掲載の三宅利喜男「小林よしのり作 漫画『戦争論』について」より転載します。(つづく)

〔三宅利喜男氏軍歴〕大正14年(1925)7月24日生
昭和19年12月 陸軍航空通信学校卒業。
  20年 5月 鞍山(満州)第三航空情報隊転属。温春(満州)第十一航空情報隊転属。
     7月 満・ソ・朝国境方面に出向。
     8月9日 ソ軍と戦闘。清津(北朝鮮)通信所にて連絡中、ソ軍の上陸始まる。茂山白頭山系より病院列車でソウル航空軍司令部へ。終戦を知る(19日)。
     9月 ソウル南大門警察に所属。韓国保安隊訓練を指導。
    10月 安養で米軍に武器引渡し。
    11月 釜山より部隊を連れ帰国。


第2052話 2019/12/08

三宅利喜男さんと三波春夫さんのこと(1)

 「岩本さんのポスターがテレビに出てはる」と妻に言われて、久しぶりにNHKの大河ドラマ「いだてん」を見ました。というのも、ご近所の岩本光司さんは前回1964年の東京オリンピック公式ポスターのモデルなのですが、そのポスターが重要なアイテムとして何度もテレビ画面に出ているのです。
 岩本家とは家族ぐるみの永いお付き合いですが、岩本さんは学生時代(早稲田大学)、水泳(バタフライ)の選手で、アジア大会で優勝し、オリンピックでのメダル獲得間違いなしと言われていました。そのため、東京オリンピック公式ポスターのモデルに抜擢され、バタフライで泳いでいる迫力満点の写真が日本中に貼られたのです。
 ところが岩本青年に悲劇が起こります。オリンピック出場を決める選考会レースの直前に病気になられ、オリンピックに出場できなかったのです。ショックで岩本さんは一旦は水泳から離れられたのですが、その数十年後、マスターズ水泳に出場され、世界記録をなんと60回以上更新するという世界のトップスイマーとして復活されたのです。今も現役で活躍されています。そして2020年の東京オリンピックを前にして、岩本さんと1964年のポスターが再び脚光を浴び、テレビや新聞に引っ張りだことなられ、今回の大河ドラマに「ポスター出演」となった次第です。
 その大河ドラマ「いだてん」に演歌歌手の三波春夫さんも登場し、あの懐かしい「オリンピックの顔と顔、それととんと、ととんと、顔と顔」という東京五輪音頭がテレビ画面に流れたのです。そのとき、わたしは「古田史学の会」の会員、三宅利喜男さんのことを思い出しました。そして、正木裕さん(古田史学の会・事務局長)に三宅さんが今も会に在籍されているのかを問い合わせたのです。(つづく)


第2051話 2019/12/07

新春古代史講演会2020(1月19日)のご案内

 他団体との共催事業として「古田史学の会」では、来年1月19日(日)に恒例の「新春古代史講演会2020」を開催します。今回は大阪市文化財協会の考古学者で難波宮を発掘調査されてきた高橋工先生をお招きし、難波宮(京)発掘調査の状況などについて講演していただきます。「古田史学の会」からは、正木裕事務局長(大阪府立大学講師)に新年号「令和」と九州王朝との関係について講演していただきます。
 講師の高橋工先生の最近の主なお仕事は次の通りです。
○難波宮跡の発掘調査
 『難波宮址の研究』第15(前期難波宮東方官衙と後期難波宮「東南新宮」候補地の提唱)
 『難波宮址の研究』第20(前期難波宮造営と土地整備)
○難波宮関係著書
 「前期・後期難波宮跡の発掘成果」:『難波宮と都城制』中尾芳治・栄原永遠男編 吉川弘文館刊(2014年7月)

 講演会後は希望者による講師を囲んでの懇親会も開催します。多くの皆様のご参加をお願いいたします。

〔新春古代史講演会2020〕
【日時】1月19日(日) 開場13:00 開会13:30〜17:00
【会場】アネックスパル法円坂 3階2号室
(旧大阪市教育会館)℡06-6943-5021
*JR大阪環状線及び大阪メトロ森ノ宮駅、西に徒歩10分(中央線谷町4丁目から東に10分)難波宮跡の東隣り。

【演題・講師】
○「難波宮・難波京の最新発掘成果」 13時30分〜15時
 高橋 工氏(一般財団法人大阪市文化財協会調査課長)
○「令和改元と万葉歌に隠された歴史」 15時10分〜16時40分
 正木 裕氏(大阪府立大学講師、古田史学の会・事務局長)
【参加費】1,000円 定員70名(事前予約不要)
【懇親会】当日、会場で受け付けます。(参加費は別途)
【共催団体】和泉史談会、古代大和史研究会、市民古代史の会・京都、誰も知らなかった古代史の会、古田史学の会、ほか


第2050話 2019/12/04

古代の九州と信州の諸接点

 『東京古田会ニュース』189号の橘高修さん(東京古田会・事務局長、日野市)の論稿「古田武彦の『八面大王論』(幷私論)」に触発され、古代史に関わりそうな九州と信州の接点について、わたしが知るところの事物や研究テーマを紹介します。
 直近では、「洛中洛外日記」1720話(2018/08/12)「肥後と信州の共通遺伝性疾患分布」において、遺伝性の病気の集積地が熊本県と長野県に特異な分布を示していることを紹介しました。もちろん、その原因が古代にまで遡るのかは不明ですが、不思議な分布状況で注目しています。この病気のことは「洛中洛外日記」読者のSさん(長崎県在住の医師)からお知らせいただいたもので、それは家族性アミロイドポリニューロパチーという遺伝性の病気です。なぜか熊本県と長野県に大きな分布が見られ、その分布事実は両者に血縁的関係があることを示唆しているようなのです。
 次に、これはわたしが発見したのですが、熊本県天草市と長野県岡谷市に「十五社神社」という神社が濃密分布していることです。御祭神は異なるようですが、「十五社神社」という名称の一致が九州と信州の特定地域に濃密分布しているのは偶然とは考えにくいことです。
 更に、筑後一宮で有名な高良大社の御祭神「高良玉垂命」を祀る「高良神社」が信州に濃密分布していることが従来から指摘され、その調査が信州の古田学派の研究者により精力的に進められています。近年では、信州以外(淡路島・他)にも「高良神社」の分布が発見されており、今後の研究の進展が期待されます。
 また、古代系図として有名な「異本阿蘇氏系図」中に信州の有力者である「金刺氏系図」が繋がっていることも知られています。これは両地域の関係が古代に遡ることを示す貴重な史料です。
 この他にも、信州に遺る「安曇(あずみ)」地名や「お船祭り」など北部九州の安曇族との関係を感じさせるものが散見されます。橘高さんが紹介された「八面大王」を「ヤメ大王」のこととし、九州王朝の筑紫君薩野馬や磐井のこととする仮説も提唱されており、検討が必要です。まさに多元史観・古田史学の出番と言えるのではないでしょうか。

「洛中洛外日記」の信州と九州関連記事タイトル】
 422話 2012/06/10 「十五社神社」と「十六天神社」
 483話 2012/10/16 岡谷市の「十五社神社」
 484話 2012/10/17 「十五社神社」の分布
1065話 2015/09/30 長野県内の「高良社」の考察
1240話 2016/07/31 長野県内の「高良社」の考察(2)
1246話 2016/08/05 長野県南部の{筑紫神社」
1248話 2016/08/08 信州と九州を繋ぐ「異本阿蘇氏系図」
1260話 2016/08/21 神稲(くましろ)と高良神社
1720話 2018/08/12 肥後と信州の共通遺伝性疾患分布


第2049話 2019/12/03

『東京古田会ニュース』189号の紹介

 『東京古田会ニュース』189号が届きました。今号には拙稿「即位礼正殿の儀の光景 -『黄櫨染御袍』考-」を掲載していただきました。本稿は、天皇しか着ることが許されていないという「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」の染色に使用された天然染料(櫨、蘇芳)とその染色技術(金属媒染)について考察したものです。国内に自生していない蘇芳の入手や九州王朝(倭国)海軍についても触れました。
 今号で改めて注目したのが橘高修さん(東京古田会・事務局長、日野市)の論稿「古田武彦の『八面大王論』(幷私論)」でした。信州に遺る古代伝承「八面大王」は九州王朝滅亡期に信州に逃げた筑紫君薩野馬のこととする古田説を解説し、『日本書紀』に見える「鼠」が登場する記事の分析から、この「鼠」とは九州王朝勢力のことであり、「八面大王」の勢力を現地史料では「鼠族」と呼ばれていることを古田説の傍証として紹介されました。
 橘高さんは、『日本書紀』に見える「鼠」を九州王朝のこととする論稿「鼠についての考察」を『東京古田会ニュース』152号(2013年9月)に発表されていたのですが、当時は「このような捉え方もあるのか」と思った程度で、わたしはあまり関心を払いませんでした。論証成立の当否も半信半疑だったと思います。ところが今回改めて拝読しますと、『日本書紀』の「鼠」記事全てとは言えないまでも、仮説としては成立するのではないかと考えるようになりました。
 橘高稿にもあげられていますが、『日本書紀』には、鼠が集団で移動すると、それは遷都の兆しとする記事が散見されます。たとえば、大化元年(645)十二月条には鼠が難波に向かったことを難波遷都の兆しとする記事があり、「前期難波宮九州王朝複都」説に対応していそうです。天智五年(666)是冬条には、京都の鼠が近江に移るという記事があり、これも「九州王朝の近江遷都」説に対応していると捉えることもできます。このように、十数年来、わたしが提起してきた仮説と橘高説は対応していることに、遅まきながら気づいた次第です。なお、橘高さんによる八面大王伝承の紹介論稿「安曇野に伝わる八面大王説話」が『倭国古伝』(古田史学の会編、明石書店)に収録されていますので、ぜひご参照下さい。


第2048話 2019/11/27

『古代に真実を求めて』23集巻頭言(草稿・前半)

 『古代に真実を求めて』二三集の「巻頭言草稿・前半」をご紹介します。これから推敲し、添削も受けますので、内容もまだまだ変化する可能性があります。読者の皆さんからのご意見やご助言もお受けします。

【巻頭言】(草稿・前半)
「古事記」「日本書紀」に息づく九州王朝
    古田史学の会 代表 古賀達也

 養老四年(七二〇)に『日本書紀』が編纂され、令和二年(二〇二〇)で千三百年を迎える。それに先立つ和銅五年(七一二)に成立した『古事記』とともに、わが国において『日本書紀』は最も多くの読者を得た歴史書と言ってもよいであろう。早くは大和朝廷が養老五年に「日本紀講筵(にほんぎこうえん)」と呼ばれる『日本書紀』の講義を催し、平安時代前期にはほぼ三十年毎に六度に及ぶ講義を行ったことが諸史料(『釈日本紀』『本朝書籍目録』)に見える。「日本紀私記」と呼ばれるその講義〝テキスト〟が四編ほど現存しており、その一端をうかがい知ることができる。
 他方、江戸時代後期に至り、本居宣長が名著『古事記伝』を著し、一躍『古事記』が脚光を浴び、『古事記』『日本書紀』は史書という史料性格を超えて、日本の国柄(国体)や日本人の思想(国学)を形作る原典とされるに至った。戦後の実証史学においても、『日本書紀』の基本的歴史観である近畿天皇家一元史観、すなわち神代の昔から近畿天皇家が日本列島で唯一の卓越した権力者であったとする歴史認識の大枠は揺らぐことはなかった。
 考古学においても、『日本書紀』の記述を根拠とした歴史編年を是として、出土土器などの相対編年をその暦年記事にリンクさせてきた。さらには、多くの文化・文物が大和朝廷で最も早く受容され、あるいは発生し、その後、日本列島各地に伝播したとする文化観・編年観が古代史学の主流を占めたのである。
 このように『古事記』『日本書紀』は編纂以来千三百年の永きにわたり、篤く遇されてきた。しかしその果てに形作られた古代史像は、古田武彦氏が提唱された多元史観・九州王朝説に立つ、わたしたち古田学派に見える景色とは大きく異なる。
 両書は、八世紀初頭(七〇一年)にそれまでの代表王朝であった九州王朝(倭国)に替わり、日本列島の第一権力者となった大和朝廷(日本国)による自らの正統性宣揚のための史書である以上、その主張の真偽は学問的検証の対象であること、論を待たない。ところが、この史料編纂の動機解明や記述内容そのもの全てをまずは疑うという学問的基本作業がこの千三百年間、必要にして充分に行われてきたとは言い難い。とりわけ、大和朝廷が自らと共通の祖先(天照大神ら)を持つ前王朝(九州王朝)の存在を隠しているという疑いなど全く抱くこともなく、わが国の古代史学は真面目かつ無邪気に『古事記』『日本書紀』の基本フレーム(近畿天皇家一元史観)を信じ、今日に至っているようである。
 古田武彦氏は『失われた九州王朝』(朝日新聞社刊、一九七三年。ミネルヴァ書房より復刻)において、近畿天皇家(大和朝廷)に先だって九州王朝が日本列島の代表王朝として存在し、中国史書に見える「倭国」とは大和朝廷のことではなく九州王朝のこととする多元的歴史観・九州王朝説を提唱された。たとえばその史料根拠として、『旧唐書』に別国表記された次の「倭国伝」(九州王朝)と「日本国伝」(大和朝廷)を提示された。

 「倭国は古の倭奴国なり。京師を去ること一万四千里。新羅東南の大海の中にあり。山島に依って居る。東西は五月行、南北は三月行。世、中国と通ず。その国、居るに城郭なく、木を以て柵を為(つく)り、草を以て屋を為(つく)る。四面に小島、五十余国あり、皆これに附属す。
 その王、姓は阿毎氏なり。一大率を置きて諸国を検察し、皆これに畏附す。(後略)」〔『旧唐書』倭国伝〕

 「日本国は倭国の別種なり。その国日辺にあるを以て、故に日本を以て名となす。あるいはいう、倭国自らその名を雅ならざるを悪(にく)み、改めて日本となすと。あるいはいう、日本は旧(もと)小国、倭国の地を併せたりと。その人、入朝する者、多くは自ら矜大、実を以て対(こた)えず。故に中国これを疑う。またいう、その国の界、東西南北、各数千里あり、西界南界はみな大海に至り、東界北界は大山ありて限りをなし、山外は即ち毛人の国なりと。(中略)
 貞元二十年(八〇四)、使を遣わして来朝す。学生橘逸勢、学問僧空海を留む。(後略)」〔『旧唐書』日本国伝〕

 わたしたち古田学派の研究者はこの古田説に基づき、『古事記』『日本書紀』の中に九州王朝(倭国)の痕跡が残されているはずと考え、多元史観・九州王朝説の視点から両書の史料批判を進め、古代史像復元を試みてきた。その現在の到達点を書き留めたものが本書である。千三百年続いた近畿天皇家一元史観を超え、多元史観の頂上(いただき)から見える景色を読者と共有し、日本古代史の奥底(おうてい)を学問の光で照らしたいと願っている。
〔以下、執筆中〕


第2047話 2019/11/23

『古代に真実を求めて』23集の巻頭言執筆中

 来春発行予定の『古代に真実を求めて』23集の編集作業も最終段階を迎え、わたしも巻頭言を執筆中です。特集テーマは『日本書紀』編纂1300年を来年に控えて、『古事記』『日本書紀』に秘められた九州王朝(倭国)の痕跡を明らかにするというものです。多元史観・九州王朝説の視点から見える景色、両書の新たな姿を本書は明示することでしょう。
 掲載論文と構成、本のタイトルも最終案が服部静尚編集長から示され、編集委員の承認を得た後、服部さんと明石書店との交渉へと進みます。特集と一般投稿論文それぞれに論集初登場の執筆者があり、古田学派研究陣の層の厚さが着実に増していることがわかります。タイトルや構成などが正式決定されましたら、また報告します。ご期待下さい。


第2046話 2019/11/22

『令集解』儀制令・公文条の理解について(6)

 「庚午年籍」のような長期保管が必要な行政記録以外にも、後世に残すことを前提とした墓碑や墓誌銘にも九州年号の使用が許されていたのではないかとわたしは考えています。このことを示す史料を以下に紹介します。

○「白鳳壬申年(六七二)」骨蔵器(江戸時代に博多から出土。その後、紛失)
 『筑前国続風土記附録』に次のように紹介されています。
 「近年濡衣の塔の邊より石龕一箇掘出せり。白鳳壬申と云文字あり。龕中に骨あり。いかなる人を葬りしにや知れず。此石龕を當寺に蔵め置る由縁をつまびらかにせず。」(『筑前国続風土記附録』博多官内町海元寺)

○「大化五子年(六九九)」土器(骨蔵器、個人蔵)
 古賀達也「二つの試金石 九州年号金石文の再検討」(『「九州年号」の研究』古田史学の会編、ミネルヴァ書房。二〇一二年)を参照してください。

○「朱鳥三年(六八八)」鬼室集斯墓碑(滋賀県日野町鬼室集斯神社蔵)
 古賀達也「二つの試金石 九州年号金石文の再検討」(『「九州年号」の研究』古田史学の会編、ミネルヴァ書房。二〇一二年)を参照してください。

○法隆寺の釈迦三尊像光背銘の「法興元卅一年」もその類いでしょう。

 以上のように残された史料事実(木簡、詔報、墓碑等)から判断すれば、九州王朝律令には年号使用を定めた「儀制令」があり、その運用が「式」などで決められていたと思われるのです。(おわり)