杉本直治郞博士と村岡典嗣先生 (2)
杉本直治郞氏の論稿「阿倍仲麻呂の歌についての問題点」(『文学』36-11、岩波書店。1968年)がフィロロギーの方法論に立脚しているのではないかと考えたのですが、何かそのことを示す証拠はないだろうかと、わたしは同論稿を再読しました。そうすると論稿末尾の次の記事に気づきました。
「(前略)文字通りのアルバイト(労働)の積み重ねによって、できるだけ厳密な、文献的批判的方法(Philologische=Kritische Methode)により、確実なる歴史事実を把握し、自由なる想像よりも、史実を前提とする推理によって、あくまで真実に肉薄しなければならない。」(1289頁)
わざわざドイツ語の「アルバイト(労働)」や「文献的批判的方法(Philologische=Kritische Methode)」を用いて説明されているところを見ると、杉本博士はドイツでアウグスト・ベークが提唱したフィロロギーを知っていたのではないかと思われました。そこで、「古田史学の会・関西例会」でベークのフィロロギーを講義された茂山憲史さん(『古代に真実を求めて』編集部員)のご意見を聞いてみたところ、次のような感想をいただきました。
「Philologische=Kritische Methodeはドイツ語の一般的な単語で、フィロロギー特有の用語ではない。〝確実なる歴史事実を把握し、自由なる想像よりも、史実を前提とする推理によって、あくまで真実に肉薄しなければならない。〟という考え方はフィロロギーとは異なる。フィロロギーにとって〝確実なる歴史事実を把握〟は前提ではなく、むしろ結果である。」
このように述べられ、この部分はベークのフィロロギーとは異なるとのご意見でした。ただベークには何人かの後継者が細い糸で繋がっており、その影響を間接的に杉本氏が受けた可能性は否定できないとのこと。そこでわたしはベークの学問を日本において〝細い糸〟として継承された村岡典嗣先生と杉本直治郞博士に接点があったのではないかと考え、調査することにしました。(つづく)