火山列島の歴史と悲劇
御嶽山噴火により大勢の犠牲者が出ました。心よりご冥福をお祈りします。火山列島に住むわたしたち日本人の悲劇と言わざるを得ませんが、噴火予知連絡会々長の東大教授のテレビでの発言と態度には驚きを通り越し、怒りさえ覚えました。
マスコミは噴火を「予知できない」ということを問題にしているようですが、それはおかしいと思います。今回の悲劇は「予知できない」ことが問題ではなく、「予知した」ことが問題の本質です。当時、御嶽山は「レベル1」(安全に登山できる)と「予知」されていたのです。しかし、事実は連絡会々長の東大教授がテレビで開き直っていたように、御嶽山の噴火は「予知できない」ということだったのですから、予知できないのにレベル1と「予知した」ことが問題の本質なのです。レベル1という「予知」を信じて登山した多くの方々が犠牲となれらたのですから。(日本の火山で比較的「予知できる」のは北海道の有珠山など わずかのようです)
学者はできないことをできると言ってはなりません。わからないことをわかると言ってはなりません。安全ではないものを安全と言って福島原発は爆発したのですから、御用学者がどれほど社会に悲劇をもたらすのかを日本人は知ったはずです。噴火を予知できないのなら、「レベル1」などと言ってはならず、「レベ ル」付けすることをも、真の学者なら「予知できないのだから、してはならない」と言うべきなのです。
その東大教授が国からどのくらい「お金」をもらっているのかは知りませんが、あまりにも不誠実です。学者としての倫理観を疑わざるを得ません。少なくともわたしが見たテレビ放映では一言も謝罪していませんでした。「予知できないのだから登山した者の自己責任」と言わんばかりの口調でした。
さらに不可解なのがマスコミの姿勢です。何の犯罪も犯しておらず、誰一人として被害にあっていないにもかかわらず、小保方さんや笹井さんに対しては叩きに叩き、小保方さんを女子トイレまで追いかけ回し全治二週間の怪我を負わせ、笹井さんを自殺に追い込みました。NHKや関西民放、毎日新聞を筆頭とするそのマスコミは、御嶽山噴火で大勢の犠牲者を出したのに相手が東大教授だと、見て見ぬふりです。「理研を解体しろ」と言ったのなら「予知連絡会を解体しろ」と言うべきです。NHK・マスコミの見識を疑います。
日本列島の歴史が火山噴火と深くかかわってきたことを古田先生はたびたび指摘されてきました。たとえば、世界最古の土器「縄文式土器」が日本列島で誕生したことは偶然ではなく、火山の影響によるとの論理的仮説を発表されました。すなわち、火山の熱が土を堅くするという「天然の窯」の現象を見る機会があった日本列島の人々だからこそ、火山をお手本にして他の地域に先駆けて土器を造ることができたのではないかと古田先生は考えられたのです。
そしてその縄文式土器が中南米(ペルー・エクアドル・他から出土しています)まで伝播したのも、火山噴火により日本列島から船で中南米まで脱出した縄文人がいたことが発端になったのではないかと考えられました。
また、古代文明が筑紫や出雲で花開いた理由の一つが、南九州での火山噴火により西日本の広い地域に火山灰(アカホヤなど)が降り注いだことではないかとされました。その火山灰の被害をまぬがれたのが西日本では北部九州(筑紫)と出雲地方だったからです。
古代史で火山といえば『隋書』イ妥国伝の「阿蘇山あり。その石、故なくして火起こり天に接す」の一文が有名でしょう。火山噴火の様子がリアルに表現されています。このように九州王朝は火山と「共存」してきたのです。歴史学でも火山学でも、真実を語る真の研究者・学者が御用学者に取って代わり、日本の学問 の主流となる日を目指して、わたしたち古田学派は歩んでいきたいと思います。