第852話 2015/01/15

『三国志』のフィロロギー

    「陳寿の認識」

 魏王朝が周の時代の古制を王朝の大義名分として引き継ぎ、その里単位として周代の短里(約78m)を漢代の長里(約435m)に替えて公認したことが古田先生の研究で明らかとなっています。従って、『三国志』の著者陳寿自身は青年時代を「長里の時代の蜀地方」で過ごしているようですが、その後、『三国志』の編纂にあたっては魏・西晋朝の大義名分にそって正史に短里を採用するのは当然です。
 また、長里から短里への変更という歴史時間帯を生きてきたことから、正史に記載する里単位に無関心であったとは到底考えられません。作者(陳寿)の立場(気持ち)になってその史料を再認識するというフィロロギーの学問の方法論をご理解いただいている読者であれば、このことに御賛同いただけることと思います。これは学問の方法論の基礎的な問題でもありますから。(つづく)

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