『三国志』のフィロロギー
「短里混在の無理」
『三国志』の倭人伝や韓伝のみを、あるいは東夷伝のみを「短里」とする論者がいます。いわば「短里混在」説ともいうべき立場です。『三国志』は長里で編纂されており、どういうわけか「短里」が混在するという立場ですが、これは学問的論理的に突き詰めると成立困難であることを説明します。
『三国志』に直前の漢代に採用されていた長里が混在する論理的可能性については説明してきたところですが、これとは逆のケース、すなわち長里で編纂された『三国志』に短里が混在するとしたい場合は、直前の漢代で短里が採用されており、魏・西晋朝になって長里が採用されたとしなければなりません。そうでなければ長里の史書に短里が混在することの説明ができないからです(「千里の馬」などの永く使われてきた成語は別です)。しかし、どの立場に立つ論者も漢代は長里であるとしており、そうであれば『三国志』において「短里混在」は論理上の問題として成立できないのです。
このように『三国志』「短里混在」説に立つ論者には肝心要の「短里が混在」した理由が学問的論理的に説明できないのです。したがって、『三国志』はオール長里とする立場(短里を認めない)に固執せざるを得ません。あるいは、倭人伝や韓伝のみ短里とか、6倍に誇張されているとする「古代中国人はいいかげんで信用できない」説という非学問的な立場におちいってしまうのです。
自説に不都合なことや自説では説明つかないことを「どこかの誰かが間違ったのだろう。だから無視する。好きなように原文改訂する。」という姿勢は非学問的であり、古田史学・フィロロギーとは正反対の立場なのです。(つづく)