第3321話 2024/07/10

金光上人関連の和田家文書 (5)

 和田家文書の金光上人史料を調査した金子寛哉氏による『金光上人関係伝承資料集』によれば、(A)~(D)群に分類した和田家文書中の金光上人関連史料について、次の所見が記されています。

(A)群 和田喜八郎氏が持参した記録物数点。薄墨にでも染めたかのような色を呈していた。
(B)群 浄円寺所蔵の軸装した史料十本。『金光上人の研究』には収録されていない。
(C)群 大泉寺に所蔵されている軸装史料、三七本。
(D)群 北方新社版『東日流外三郡誌』の編者、藤本光幸氏より借用した史料。一枚物が多いが、小間切れのものもかなり見られ、奇妙な香りと湿り気を帯びたものがあった。藤本氏によれば、三十年以上も前からそうした状態だったとのこと。他群よりも(D)群の文書はより拙劣であり、誤字(誤記ではなく文字そのものの誤り)が多いことも目立つ。佐藤堅瑞、開米智鎧両師とも、この(D)群資料をその著書に全く用いていない。

 金子氏はこれら計一五九資料を古文書の専門家に見せ、「あくまで写真で見た限りという条件つきではあるが、古くとも江戸末期のものでしかない」との所見を得ています。どうやら金子氏は、現存する和田家文書が和田末吉らによる明治・大正写本であるという史料性格をご存じなかったのかもしれません。ですから、古文書の専門家の所見「古くとも江戸末期のもの」は妥当な判断です。

 さらに金子氏の所見「他群よりも(D)群の文書はより拙劣であり、誤字(誤記ではなく文字そのものの誤り)が多い」「佐藤堅瑞、開米智鎧両師とも、この(D)群資料をその著書に全く用いていない」も重要です。すなわち、戦後作成の模写(レプリカ)と思われるものの文字は他群より稚拙であり、佐藤・開米両氏の著書には採用されていないということは、次のことを示しています。

(1) 戦後レプリカと明治・大正写本とは筆跡が異なっている。
(2) 戦後早い時期に和田家文書と接した開米智鎧氏と佐藤堅瑞氏が、著書執筆に採用した和田家文書は戦後レプリカではなく、明治・大正写本であった。

 この二点が金子氏の報告から読み取れますが、このことは和田家文書偽作説を否定するものです。ですから、わたしは金子氏の調査報告を、「いわゆる偽作論者による浅薄で表面的な批判とは異なり、史料状況の分類や他史料との関係にも言及が見られ、その批判的な姿勢も含めて、学問研究としては比較的優れたものでした」と前話で評価したのです。偽作キャンペーンとは一線を画し、和田家文書(金光上人関連史料)159点を和田喜八郎氏や藤本光幸氏らから借用し、写真撮影まで行って調査分類した金子氏の証言だけに貴重ではないでしょうか。(つづく)

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