第2254話 2020/10/07

法隆寺釈迦三尊像「周半丈六佛」の先行説

 このところ研究テーマが続出し、多方面の史料調査を行っていますが、「洛中洛外日記」1875話(2019/04/14)〝『法隆寺縁起』に記された奉納品の不思議(7)〟で提唱した法隆寺の釈迦三尊像を「周半丈六佛」とする拙論に先行説がありましたので報告します。
 同「洛中洛外日記」で、わたしは次のように述べました。

〝佛像の大きさの基準として、仏典に見える釈迦の身長「丈六」(1丈6尺:約4.8m、座像の場合は約2.4m)と同じ佛像は丈六佛と呼ばれ、その半分の高さの佛像は「半丈六」とされます。更にその4分の3の尺度である「周尺」に基づいた佛像を「周丈六」(1丈6尺:約3.6m、座像の場合は約1.8m)と呼ばれ、その半分の「周半丈六」の座像は約0.9mとなります。法隆寺釈迦三尊像の釈迦像の身長(座像高)は0.875mですから、ほぼ一致します。ですから、この「周半丈六」を「丈六」と当時の法隆寺では呼ばれていたのではないでしょうか。〟

 ところが、昭和25年(1950)の『佛教藝術』7号に掲載されている藪田嘉一郎氏(1905-1976)の「法隆寺金堂薬師・釈迦像光背の銘文について」に、次の記述がありました。

〝(前略)そして施入の對象となった丈六像こそ彼の釈迦像ではないか。しかし釈迦像は普通概念によると丈六像とは言われぬ小像で所謂「尺寸王身」の等像身である。しかるに、これを「丈六分」の丈六に當てる理由は如何。今この像の實測高は二尺八寸五分を算するという。天平の當用尺では二尺九寸を超え三尺に近い。周半丈六の坐像は三尺という説があり、之に近いから、一に「丈六」の名を以て呼偁したのではあるまいか。〟(96頁)

 わたしの仮説が高名な先学と同じであったことはうれしいのですが、先行説の存在に気づかなかったことを研究者として恥じ入るばかりです。しかも、藪田さんの同論文をわたしは20年ほど前に読んでおり、コピーまでしていました。ですから、この論文の内容を失念していたわけですが、当時は「丈六」問題にまで関心が及ばなかったものと思います。
 恥ずかしながら、このことを報告させていただき、畏敬する先学へのお詫びに代えたいと思います。なお、わたしの法隆寺研究は新たなテーマへ展開しそうであり、先行研究などを精査しているところです。

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