第368話 2011/12/31

平成23年の回顧

 平成23年も最後の一日となりました。我が国にとって今年は非情で沈痛で困難な年でした。東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、被災地の復興を祈念しながら、「古田史学の会」の一年を振り返りたいと思います。
 全くの個人的学問的感想となりますが、ご紹介いたします。まず第一はやはり『「九州年号」の研究』の編集作業と上梓です。刊行企画から上梓まで三年ほど かかりました。会員の皆さんにはお待たせしたことをお詫びします。それから、編集作業を進めていただいたミネルヴァ書房の田引さんにあらためて感謝いたし ます。自画自賛となりますが、九州年号の研究書は近年他に類書もなく、後世に残る一冊と自信を持っています。
 第二は、福岡市から出土した「大歳庚寅年」銘鉄刀が四寅剣だったことが解明されたことです。朝鮮半島の伝統的剣である四寅剣が九州王朝にもあったこと と、九州年号「金光」改元との関係が推測できることなど、九州王朝研究にとってもすばらしい金石文の発見でした。
 第三は、百済人祢軍墓誌拓本の出現です。七世紀末の『日本書紀』にも登場する祢軍の墓誌という第一級史料の出現は、九州王朝から大和朝廷への王朝交代を研究する上で画期的な事件でした。本格的研究の幕開けが楽しみです。
 第四は、九州年号史料に見える「始哭」や『二中歴』に記されていない「法興」「聖徳」年号についての新たな仮説が正木さんから発表されたことです。『「九州年号」の研究』の続編を出すときには収録したい研究成果の一つです。
 第五は、太宰府の観世音寺の創建年について『勝山記』に白鳳十年と記されていることの「発見」です。『二中歴』には白鳳年号の細注に「観世音寺東院造」 とありますが、具体的な年次が不明でした。とところが『勝山記』には白鳳十年(670)の項に「鎮西観音寺造」とあり、具体的な年次が判明したのでした。 太宰府政庁や条坊の編年研究にも貴重な史料となるでしょう。
 この他にも優れた論稿が会報や会誌で発表されましたが、何といっても古田先生が畢生の書とされた『卑弥呼』が刊行されたことです。古田先生の四十年にわ たる邪馬壱国研究の総決算ともいうべき一冊で、古田学派必読の書です。わたしも年始には再読します。
 それでは皆様、新年が良き年でありますように。

フォローする