「トマスによる福音書」と
仏典の「変成男子」思想 (3)
「変成男子」思想は『法華経』「題婆達多品第十二」に見える「龍女の成仏」説話が著名ですが、それは編纂過程において題婆達多品が後から付加されたようで、西晋の竺法護訳(286年)『正法華経』(注①)や後晋の鳩摩羅什訳(406年)『妙法蓮華経』には題婆達多品はありません。また、隋の闍那崛多訳(601年)『添品法華経』には題婆達多品はないのですが、「宝塔品第十一」の後半に編入されています。なお、「変成男子」思想は各種仏典中に見え、それらについては今井俊圀さん(古田史学の会・全国世話人、千歳市)が論稿(注②)で紹介されています。以下、要約して転載します。
○『大宝積経』唐の菩提流志訳。「彼女皆悉得男身」(大正新脩大蔵経巻十一、1~685頁)
○『大宝積経』北斉の那連提耶舎訳。「彼女皆悉得男身」(同、414頁)
○『大宝積経』唐の菩提流志訳。「成就八法當轉女身」「是浄信等五百童女人中壽盡。當捨女身生兜率陀天。」(同、626頁)
○『大方等大集経』北涼の曇無讖訳。「所將八萬四千亦轉女身得男子身」「尋轉女身得男子形」(大正新脩大蔵経巻十三、133頁・217頁)
○『大方等大集経』隋の那連提耶舎訳。「尋轉女身得男子身」(同、241頁)
○『道行般若経』「是優婆夷後當棄女人身。更受男子形却後當世阿閣佛刹。」(大正新脩大蔵経巻八、458頁)
※般若経のなかでも最も成立が早いとされる『道行般若経』はBC一世紀には南インドで成立していたとされている。
○『小品般若経』「八千頌般若経」の鳩摩羅什訳。「今轉女身得爲男子生阿?佛土」(同、568頁)
○『大樹緊那羅王所問経』姚秦の鳩摩羅什訳。「轉捨女身成男子身」(大正新脩大蔵経巻十五、380~381頁)
○『佛説七女経』呉の支謙訳。「見七女化成男」(大正新脩大蔵経巻十四、909頁)
○『佛説龍施女経』呉の支謙訳。「女身則化成男子」(同、910頁)
○『佛説龍施菩薩本起経』西晋の竺法護訳。「變爲男子形」(同、911頁)
○『佛説無垢賢女経』西晋の竺法護訳。「便立佛前化成男子」(同、914頁)
○『佛説轉女身経』宋の曇摩蜜多訳。「速離女身疾成男子」(同、919頁)、「無垢光女女形即滅。變化成就相好莊嚴男子之身」(同、921頁)
○『順權方便経巻下』西晋の竺法護訳。「五百女人變爲男子」(同、930頁)
○『樂瓔珞莊嚴方便品経』姚秦の曇摩那舍訳。「及轉女身成男子身」(同、938頁)
○『佛説心明経』西晋の竺法護訳。「當轉女像得爲男子」(同、942頁)
○『佛説賢首経』西秦の聖堅訳。「可得離母人身。有一事行疾得男子」(同、943頁)
○『佛説長者法志妻経』訳者不明。「女心即解變爲男子」(同、945頁)
○『佛説堅固女経』隋の那連提那舍訳。「捨女人身得成男子」(同、948頁)
○『六十華厳』「六欲天中一切天女。皆捨女身悉爲男子」(大正新脩大蔵経巻九、606頁)。
以上のように、少なからぬ漢訳経典に「変成男子」思想が見えることから、そのサンスクリット原典やパーリ語原典にも同様の説話や思想があったはずです。この思想は女性蔑視社会を前提として成立しますから、当時の女性たちがおかれた地位や精神的苦悩は想像するにあまりあります。救済思想としての仏教やそれを説いた釈迦の出現は歴史的必然だったのではないでしょうか。そうであれば、「トマスによる福音書」も同様の背景を持っていたと思われます。(つづく)
(注)
①『正法華経』には、題婆達多品が「梵志品」の名称で「七寶塔品第十一」中に編入された諸本もあるようである。
②今井俊圀「『トマスによる福音書』と『大乗仏典』 古田先生の批判に答えて」『古田史学会報』74号、2006年。