第2877話 2022/11/15

「学説」「学派」が存在しえない領域「数学」

 荻上紘一先生とは、大学セミナーハウスを離れる14日の朝も対話が続き、そこでも数学が持つ興味深い性格を教えていただきました。たとえば次のようなことです。

 〝数学には「学説」というものもないし、たとえば古田「史学」とか多元「史観」という概念が存在しませんから、「学派」も存在し得ません。証明された定理があるだけですから。〟

 今回の〝古田武彦記念古代史セミナー2022〟で触れた数学が持つ学問的性格の一端を知り、数学者が実行委員長を務める同セミナーは良い刺激を受け、異なる領域ではありますが、古田史学・古田学派でもエビデンスと論証や論理性を更に重視する研究が増えるのではないでしょうか。あわせて、通説(近畿天皇家一元史観)を支持する論者をも説得できるエビデンスの明示と論証力を身につけるためにも、数学の持つ性格を学ぶことは大切と思いました。
 実は荻上先生との懇談の席で数学の話しを持ち出したのはわたしからでした。というのも、日本古代史学でも数学のような簡明で美しい定理や命題というもので諸仮説の評価・位置づけなどを表現できないかと、最近、わたしは考えていたからです。このテーマを哲学や論理学に詳しい茂山憲史さん(『古代に真実を求めて』編集部。注①)にたずねたことがありました。茂山さんの返答は次のようなものでした。

 〝それはできないと思います。数学にはそれを表現できる「美しい言語」がありますが、歴史学は人や人の行動を対象とするため、どろどろとした用語しかありませんので、数学のような定義はできません。〟

 この茂山さんとの対話内容を荻上先生に紹介したところ、今回のような数学の説明がなされたものです。このことに触れた「洛中洛外日記」2875話〝数学の「証明」と歴史学の「証明」〟や2876話〝自説が時代遅れになることを望む領域〟が読者から注目されているようで、メールやFacebookにコメントが寄せられましたので、西村秀己さん(注②)から届いたメールを最後に紹介します。

【西村秀己さんからの「個人的感想」】
 数学が他の、歴史学や化学や物理学と違うのは論証の基礎となる素子が自己完結であることです。分かり易く言うなら、数学のルールは数学が決めている、ということ。従って一度証明された事は決して覆る事は無い。ところが数学以外の学問は自己完結ではないので、証明された(と思った)瞬間から新しい素子(発見された事実)に晒される。これが、数学とそれ以外の学問との違いかと。

(注)
①大学で哲学を専攻。「古田史学の会」関西例会にて、「フィロロギーと古田史学」というテーマで2017年5月から一年間にわたり行われた。用いたテキストはベークの『エンチクロペディーと文献学的諸学問の方法』(安酸敏眞訳『解釈学と批判』知泉書館)。
②「古田史学の会」全国世話人で同会会計担当、『古田史学会報』編集担当、高松市在住。

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