第2941話 2023/02/11

甲斐の国府寺(医王山楽音寺)か (2)

 井上肇さん(古田史学の会・会員、山梨県北都留郡)から教えて頂いた山梨県笛吹市一宮町塩田の醫王山楽音寺(がくおんじ)の創建年代調査の手始めとして、同寺のホームページ(注①)を拝見しました。ところが、具体的な創建年代は見えず、「楽音寺の由来」として次の不可解な説明がありました。

「楽音寺は禅宗の寺院で、臨済宗妙心寺派に属しております。
今からおよそ1400年ほど前、飛鳥時代に推古天皇の御代に行基菩薩によって建てられ、当時は岳音寺という名称で密教系の寺院でした。
山内の井戸よりくみ上げた水が嵯峨天皇の目のはやり病を治したことから醫王山の山号を賜り、のちに薬師如来を本尊として守られて参りました。
山門には仁王像、境内に3基の古墳を有しております。」

 「今からおよそ1400年ほど前」であれば、「飛鳥時代の推古天皇の御代」でよいのですが、「行基菩薩によって建てられ」たとありますから、時代があいません。行基(668~749年。注②)が活躍したのは八世紀前半で、推古の時代とは百年近くのずれがあるのです。それにもかかわらず、飛鳥時代に行基により創建されたとする寺伝があるとすれば、それは次のようなケースではないでしょうか。

(a) 楽(岳)音寺は推古の時代(九州年号の告貴元年、594年)に創建されたとする伝承があった。
(b) その寺は甲斐国の国府に建立され、「国府寺」と伝えられていた。
(c) 後に、その国府寺を造営した人物を、八世紀の聖武天皇の国分寺建立(注③)の時代に活躍した「行基」に置き換えられた。
(d) 八世紀になると、聖武天皇の命により、当地に国分寺が建立されたため、寺名の通称「国府寺」が消され、楽音寺とした。
(e) こうした後代における寺名や解釈の変更により、〝飛鳥時代に推古天皇の御代に行基菩薩によって建てられた〟とする、不可解な伝承へと変化した。

以上は作業仮説レベルにとどまりますので、引き続き実証的調査を進めます。(つづく)

(注)
「醫王山楽音寺」ホームページ
https://www.br-promotion.jp/gakuonji/
②行基の生没年は、天智七年(668)から天平二一年(749)とする「大僧正舎利瓶記」による。
③国分寺建立に関して『続日本紀』に次の記事が見える。
天平十三年(741) 聖武天皇が国分寺建立の詔を発布する。
天平十六年(749) 国ごとに正税四万束を割き、毎年出挙して国分寺造営の費用に充てる。
天平十九年(747) 国分寺造営について国司の怠惰を責め、郡司を専任として重用し、三年以内の完了を命じる。
天平勝寶八年(756) 聖武太上天皇一周忌斎会のため、使を諸国に遣わし、国分寺の丈六仏像の造仏、さらに造仏殿、造塔を促す。

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