第2956話 2023/03/02

大宰府政庁Ⅰ期の造営年代 (2)

 大宰府政庁Ⅰ期(掘立柱建物)の造営年代について、通説では天智期から七世紀末頃とされてきました(注①)。そして、政庁Ⅰ期を古段階と新段階に分けて、古段階の最初と新段階の終わりが50年ほど開いており、政庁Ⅰ期新段階の廃絶から政庁Ⅱ期創建(八世紀初頭)は連続していると考古学的には見られています(注②)。

「Ⅰ期遺構はいわゆる大宰府の創設期の遺構であり、この遺構の年代とそのあり方は草創期の大宰府を考える上で極めて重要である。年代の手掛かりとして、最も良好な資料は、正殿周辺部で検出したⅠ期遺構である。以下、この調査結果を中心に検討してみよう。
Ⅰ期の開始期にあたるものとして、掘立柱建物SB122や柵SA111がある。SB122に関わる暗茶色土の整地層から出土した土器で主体となるものは、6世紀末から7世紀初頭に位置づけられるものがある。また、掘立柱建物SB120・SB121、柵SA110、溝SD125などはⅠ期の最終期に考えられる。そして、これらの遺構に関わる遺物の多くは、8世紀第1四半期初頭に位置づけられる。出土土器の様相からみた年代では、開始期の遺構と最終期の遺構には約半世紀の隔たりがある。」『大宰府政庁跡』385頁

 以上の見解が大宰府政庁を発掘調査した考古学者の共通認識と思われます(注③)。具体的にはⅠ期開始期の掘立柱遺構の整地層から主に6世紀末から7世紀初頭の土器が出土していることから、同建物は7世紀初頭以後(天智期)に造営されたとしているようです。そして、最終期の遺構からは8世紀第1四半期初頭の土器が検出されていることから、政庁Ⅰ期活動期の最終を8世紀第1四半期初頭とする通説の根拠となったわけです。

 土器相対編年の暦年リンク年代については賛成できませんが、政庁Ⅰ期の開始期から最終期、すなわち政庁Ⅰ期活動期間を約半世紀とする見解は興味深く思います。これを文献史学による政庁Ⅱ期創建期の670年(白鳳十年)頃から逆算すると、政庁Ⅰ期の造営開始期は620年頃となり、九州年号の倭京元年(618年)とほぼ一致し、注目されます。(つづく)

(注)
①田村圓澄編『古代を考える 大宰府』吉川弘文館、1987年。
②『大宰府政庁跡』九州歴史資料館、2002年。
③山村信榮「大宰府成立再論 ―政庁Ⅰ期における大宰府の成立―」(『大宰府の研究』高志書院、2018年)では、政庁Ⅰ期古段階の成立を6世紀中葉から後半頃(牛頸窯跡群操業開始と同時期)とされている。この見解については後述する。

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