第3170話 2023/12/03

空理空論から古代リアリズムへ (1)

 先の八王子セミナー(注①)では様々なご質問をいただき、自説に対してどのような批判や疑問が持たれているのかを知ることができ、とても有意義でした。わたしは〝学問は批判を歓迎し、真摯な論争は研究を深化させる〟と考えていますので、有り難いことです。

 そうした質問の一つに、律令制中央官僚が八千人(注②)とするのは『養老律令』によるもので、七世紀の王都には不適切とするものがありました。同様の批判は、前期難波宮「九州王朝複都」説に反対する論者にもよく見られたものです。既に何度も説明してきたことですが、新たな視点も含めて改めて要点をまとめます。

(1) 『養老律令』はほぼ『大宝律令』と同内容であることが復元研究により明らかとなっており、藤原宮や平城宮は『大宝律令』により全国統治した王宮である。『養老律令』が施行されたのは天平勝宝九年(757)と見られている。
(2) 七世紀は九州王朝(倭国)の時代であり、九州王朝律令により全国統治していたと考えられる。
(3) 古田氏の九州王朝説によれば、七世紀中頃には、九州王朝が全国を評制により統治したとする。
(4) 当時、評制による全国統治が可能な規模を持つ王都王宮は、前期難波宮(難波京)だけである(注③)。
(5) 前期難波宮の朝堂院は藤原宮とほぼ同規模であり、したがって中央官僚の人数も大きくは異ならないと推定できる。
(6) 文献的にも、評制が前期難波宮(難波朝廷)で全国的に施行(天下立評)したとする史料(『皇太神宮儀式帳』)があり、その他の王都で評制が施行されたとする史料は見えない(注④)。

 古代の真実に迫るためには、史料根拠に基づかずに〝ああも言えれば、こうも言える(注⑤)〟程度の解釈による「空理空論」ではなく、古代人が律令制により全国統治する行政システムにとって、何が絶対条件なのか、という「古代のリアリズム」に基づいて論じなければならないと、わたしは先の八王子セミナーで主張しました。(つづく)

(注)
①正式名称は「古田武彦記念古代史セミナー2023」、公益財団法人大学セミナーハウスの主催。
②服部静尚「古代の都城 ―宮域に官僚約八千人―」『古田史学会報』136号、2016年10月。『発見された倭京 ―太宰府都城と官道―』(『古代に真実を求めて』21集)に収録。
③古賀達也「律令制の都『前期難波宮』」『古田史学会報』145号、2018年。
同「九州王朝の黄金時代 ―律令と評制による全国支配―」『多元』148号、2018年。
同「七世紀の律令制都城論 ―中央官僚群の発生と移動―」『多元』176号、2023年。
同「律令制都城論と藤原京の成立 ―中央官僚群と律令制土器―」古田武彦記念古代史セミナー2023にて発表。
同「洛中洛外日記」3157話(2023/11/11)〝八王子セミナー・セッションⅡの論点整理〟
④同「文字史料による「評」論 ―「評制」の施行時期について―」『古田史学会報』119号、2014年。
同「九州王朝の両京制を論ず (一) ―列島支配の拠点「難波」―」『多元』に投稿中。
⑤〝ああも言えれば、こうも言えるというものは論証ではない〟との中小路俊逸氏(故人、追手門学院大学教授)の教えを受けたことがある。
古賀達也「洛中洛外日記」360話(2011/12/11)〝会報投稿のコツ(4)〟
同「洛中洛外日記」1427話(2017/06/20)〝中小路駿逸先生の遺稿集が発刊〟

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