平安時代(簾中抄)にあった2進法手品
昨日、 「古田史学の会」関西例会が豊中自治会館で開催されました。次回、11月例会の会場は東成区民センターです。
今回、わたしは「道君首名(みちのきみおびとな)卒伝の「和銅末」の考察(前編)」を発表しました。古代史料中の「末」の字義について確認するために、『続日本紀』で使用されている「末」や「○○末」(○○は年号)の用例を検索し、この「末」がどのような意味で使用されているのかを報告しました。
今回の調査範囲では、現代と同様に〝ものごとの終わり、最後〟の意味で使用されていました。もちろん例外的な「末」の応用例もありますが、特に説明がなければこの理解(第一義)〝ものごとの終わり、最後」で読んでよいようです。というよりも、説明がなければ読者は第一義で読んでしまうことでしょう。『続日本紀』道君首名卒伝に見える「和銅末」の場合は、和銅年間の最後の年、和銅八年(715年)の意味になります。後編では応用例(主に慣用句)についても紹介できればと考えています。
久しぶりに不二井伸平さん(本会・全国世話人、明石市)が参加され、古代日本に2進法の概念があったとする研究を報告されました。そして平安時代の『簾中抄』に記された2進法の原理を用いた手品を披露されました。恥ずかしながら、2進法が採用されていたとする説明については半分ほどしか理解できませんでしたが、弥生時代の分銅計りの重りが2進法で設計されており、その伝統が江戸時代まで遺っていたということには驚きました。不二井さんの教え子(小学生時代)の榎原さんが例会に参加されました。聞けば、榎原さんのお父上が古田先生のファンだったとのことで、その御縁で例会での不二井さんの発表を聞きに来られたとのことでした。
亡くなられた水野顧問の研究年譜と、古田史学の会創立時の思い出なども、わたしから報告させていただきました。
10月例会では下記の発表がありました。なお、発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。
〔10月度関西例会の内容〕
①2進法手品 (明石市・不二井伸平)
②推古紀の小野妹子と蘇因高 (姫路市・野田利郎)
③縄文語で解く記紀の神話 崇神帝 (大阪市・西井健一郎)
④水野孝夫顧問との出会いと研究年譜の紹介 (京都市・古賀達也)
⑤道君首名卒伝の「和銅末」の考察(前編) (京都市・古賀達也)
⑥記紀の記述から天皇の二倍年齢と万世一系を疑う (大山崎町・大原重雄)
⑦九州王朝は「日本国」を名のったのか? (神戸市・谷本 茂)
⑧『日本書紀』のルーツとタリシホコ (東大阪市・萩野秀公)
□「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円
11/16(土) 10:00~17:00 会場 東成区民センター
12/21(土) 10:00~17:00 会場 都島区民センター