第3453話 2025/03/19

飛鳥宮跡北側から大型建物出土

 古田説の支持者や研究者のなかには、七世紀の近畿天皇家(後の大和朝廷)の実勢を過小評価する意見があります。わたしはエビデンスベースに基づいて判断すべきとして、拙稿「飛鳥宮内郭から長大な塀跡出土」を『多元』186号(2025年)で発表し、次のように主張しました。

 「九州王朝説論者も、飛鳥宮跡が指し示す近畿天皇家王宮の規模(飛鳥宮跡Ⅱ期・Ⅲ期は大宰府政庁Ⅰ期・Ⅱ期よりも大規模)や建築様式の変遷に注目すべきだ。多元史観・九州王朝説の中での、近畿天皇家(後の大和朝廷)の適切な位置づけが必要であることを今回の出土は示唆している。なかでも考古学的出土事実と『日本書紀』の飛鳥宮記事が対応することは、『日本書紀』当該記事の信頼性を高めており、それに関連する記事も史実である可能性が高くなることに留意しなければならない。」『多元』186号

 これは2023年に出土した飛鳥宮跡Ⅰ期に属する長大な塀跡について論じたものです。ところが今回、飛鳥宮内最大規模のⅢ期の大型建物二棟が飛鳥宮内郭の北から出土したという報道に接しました。「毎日新聞」WEB版が比較的詳しく紹介しているので、本稿末に転載します。

 その記事末尾にある〝世界では異例となる「塀の外の宮殿」の理由に迫れれば、律令国家が古代中国を模範としながらも国内事情を勘案して、国造りをいかに進めたかを浮き彫りにすることにつながる。〟という問題意識は貴重ですが、おそらく九州王朝(倭国)から大和朝廷(日本国)への王朝交替という多元史観でなければ回答は得られないように思います。

 詳しくは発掘調査報告書が出ないと判断できませんが、報道のなかでわたしが注目したのが、検出された柱間距離(2.4m、3m、4.2m)と棟間距離(2.4m、12m)がいずれも、0.3mで割り切れることから、1尺=30cmの尺が設計に採用された可能性が大きいことになります。ただし、この数値の有効桁数が不明ですので、断定はできません。

 他方、この建物の造営時期は天武・持統期とされており、それが正しければ、藤原京(宮)の造営時期とほぼ重なりますから、藤原京からの出土尺29.5cmとは異なってしまいますし、条坊造営尺29.4~29.5cmとも一致しません。同一権力者による造営であるからには、設計尺が異なるのは何とも不思議な現象です。発掘調査報告書が出ましたら改めて精査検討したいと思います。

【記事転載】毎日新聞WEB版 2025/3/18
塀の外に天皇の宮殿?
飛鳥宮跡で7世紀の総柱建物跡見つかる

 奈良県明日香村の飛鳥宮跡北側で7世紀後半の大型の総柱建物跡が見つかった。以前見つかった大型建物跡の南の隣接地で、同規模の2棟が南北に対で建てられている。18日発表した県立橿原考古学研究所(橿考研)は「天武、持統両天皇の2棟建ての宮殿・内裏(だいり)とみられる」とするが、宮中枢「内郭」外側に位置しており、なぜ塀の外に天皇の宮殿があるのかは謎となっている。
橿考研が2024年10月から発掘調査を実施。09年度に発見した宮最大規模の建物跡(東西35.4メートル、南北15メートル)の範囲確認調査をしていたところ、南の隣接地に別の建物の北東部分の柱穴計35カ所を発見した。09年度に発見された遺構は外壁のみ柱を立てる「側柱建物」だったが、今回は内側にも柱を配置して頑丈に造った「総柱建物」と判明した。2棟をどう使い分けたかは不明だ。

 2棟は見つかった柱の位置関係から相似形とみられ、今回の総柱建物も内郭内の天皇の宮殿「内安殿(うちのあんどの)」や内郭外の「大極殿」とされる建物より規模が大きい。古代宮殿で複数建物が南北に並び、南側が総柱建物となっている例は、8世紀後半の「平城宮西宮」(現在の奈良市)がある。現場は埋め戻されており、見学会は実施しない。

◇世界遺産向け、謎解明が急務

 古代中国の都市区画「条坊制」が正確に用いられた藤原京(現在の橿原市)と違い、明日香村の遺跡は想定外の発見が多い。「塀外の宮殿」という今回の発見もその一つだ。世界標準では考えられない配置のため、理由の解明が焦点となる。

1棟だけでも宮最大規模の建物が計2棟も対で見つかり「天皇や天皇級の人物の宮殿」とする評価は研究者間で一致。モデルとなった古代中国の都・長安(現在の西安市)など世界の王宮は城壁で守られる中、天武・持統朝は宮殿を内郭外に置いたことになる。当時、壬申の乱(672年)のような内戦はあり、天皇を守る発想がないのは不可解だ。

 相原嘉之・奈良大教授(考古学)は「天武天皇の内裏は内郭にあり、2棟は皇后(のちの持統天皇)が住む『皇后宮』」と推測する。これとは別に、藤原京遷都を控えていたため、空いた場所に建てた「仮宮殿説」も出ているが、謎は深まるばかりだ。

 世界では異例となる「塀の外の宮殿」の理由に迫れれば、律令国家が古代中国を模範としながらも国内事情を勘案して、国造りをいかに進めたかを浮き彫りにすることにつながる。今夏に世界文化遺産への登録を巡る国連教育科学文化機関(ユネスコ)の審査が予定される「飛鳥・藤原の宮都」の普遍的な価値をアピールできる可能性も秘めている。【皆木成実】

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