第3521話 2025/08/24

地蔵盆行事でランドスケープ研究を聴講

 昨日は京都の伝統行事、地蔵盆が町内会で行われました。その行事の一つとして、今年は京都府立大学大学院で環境科学を専攻する竹田桃子さんの講演がありました。梶井町町内会としても初めての取組で、会場のクリエイション・コア京都御車(中小企業基盤整備機構)の会議室が満席となりました。
講演テーマは「近代・京都の鴨川西岸地区における公家町の景観変容について」で、明治維新以降の梶井町の成立と変遷についての歴史的研究です。住んでいる町の歴史をテーマとした研究発表を地蔵盆で聞けるのは京都ならではのことでしょう。

 わたしが住んでいる上京区梶井町は、江戸時代は梶井宮(常修院宮慈胤法親王・後陽成天皇の第十四皇子)の別邸があった所で、鴨川の西岸にあり、比叡山や大文字焼きで有名な如意ヶ嶽など東山三十六峰を一望できる、洛中でも有数の地域です。明治維新による東京遷都のときに多くの御公家衆が東京に転居し、明治四十年以降に梶井宮邸も大阪の実業家・藤田男爵(注①)や京都の有力者が買い取り、この地に別邸を造りました。戦後それら別邸跡地が分譲され、現在の町民の祖父の代に転居し、梶井宮跡が現在の梶井町になりました。そして、京都府立医科大、同付属病院、北村美術館、同志社女子大みぎわ寮、ドミニコ女子修道院などが町内に造られました。

 講演では、このような明治から現代までの梶井町の歴史と景観の変容がランドスケープ学(注②)の視点で紹介され、参加者もおじいさんたちから聞いた昔話に花が咲きました。ちなみに、この研究は竹田桃子さんの修士論文(2025年)のテーマで、東京大学本郷キャンパス安田講堂で開催された2025年度日本造園学会全国大会でもポスター発表されました。

 梶井町では現在も大原記念病院(リハビリ専門病院)とマクドナルドハウス(府立医大付属病院・京大病院に長期入院している子供たちの親の宿泊施設)の建設が行われており、町の景観も大きく変わり続けています。

 講演後に竹田さんの修士論文をいただきましたが、それには英文タイトル〝A study of the landscape transformation of a court noble town in the west bank area of the Kamogawa River in modern Kyoto〟が付されており、文系論文でも英文タイトル付記は常識となっているようです。『古代に真実を求めて』編集部でも掲載稿に英文タイトルを付記することを検討しています。古田史学を世界に発信するためには英文タイトル・アブストラクトの併記が必要です。同修士論文を読んで、まずは英文タイトルだけでも付記したいと思いました。

(注)
①藤田傳三郎(ふじた でんざぶろう、1841年7月3日・天保12年~1912年・明治45年)は、日本の商人、実業家。明治時代の大阪財界の重鎮で、藤田財閥の創始者。〔Wikipediaによる〕
②ランドスケープ学とは、自然環境と人との暮らしが調和した空間形成の知識・技術について研究する学問。都市設計において最初に検討すべき課題として重視されている。

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