第3534話 2025/09/25

興国の津軽大津波伝承の理化学的証明(3)

 国立歴史民俗博物館の報告書「十三湊遺跡北部地区の発掘調査」(1995年)によれば、江戸期成立文献に見える「興国の大津波」伝承は史実ではないとされていますが、理化学的年代測定により「興国の大津波」があったとする報告書があります。『地質学論集』第36号に掲載された箕浦幸治・中谷周「津軽十三湖及び周辺湖沼の成り立ち」(1990年、注①)です。それには次のように報告されています。

 「1983年5月、日本海北東部で発生した日本海中部地震津波は、青森県から秋田県の海岸域に押し寄せ、これらの地域に多大な被害をもたらした。遡上した海水は、海岸湖沼や跡背湿地に流入し、一時的に水系の環境を大きく変えた(箕浦・中谷、1989)。寛保元年(西暦1741年)、渡島半島西方沖で発生した大津波は、津軽半島にも襲来し、十三湖に近い小泊で7mに達する波高を記録した(渡辺、1985)。その時の様子を、橘南谿が自著「東遊記」に克明に記録している。十三湖周辺の海岸地形は、この津波によって少なからず変容したことが推定されている(箕浦・中谷、1989)。十三往生記或は東日流外三郡誌(小館・藤本、1986)によれば、興国二年(西暦1341年)日本海北東縁に大津波が発生して津軽半島に波及し、多数の犠牲者を出すとともに、津軽の覇者安東氏の本拠であった十三浦(十三湖)を襲ってこれを壊滅させたという。」(71頁)

 「海側の砂丘の出現と砂丘間水路の閉塞の年代は、鉛同位体法により各々640年±20年前(西暦1340年±20年)及び240年±20年前(西暦1748年±20年)と推定される。

 既に述べたように、今から遡ること約650年前津軽の海岸に大津波が押し寄せたという記録或は伝承(佐藤・箕浦、1987)が、不正確ながら今日に残されている。砂丘間湖沼を出現させた海側の砂丘の発達は、その推定年代値(西暦1340年前後)から、この時の津波(興国の大津波)の襲来によって作られた可能性が大いに考えられる。十三湖の堆積物中には堆積相の急変部が認められず、従って、この津波は湖に直接及ばなかったと思われる。恐らく、海岸での急激な堆積物の移動と海岸砂丘の形成に終始し、津波による当時の港湾施設の破壊の言伝え(小館・藤本、1986)は後の誇張によるものであろう。或は、砂丘の出現による湖口部の閉鎖が水上交易を阻害し、中世十三浦の支配者たる津軽安東氏(桜井、1981)は、これ以降急速に衰退の一途を辿ったとも解釈できよう。水路の閉鎖による砂丘間湖沼の誕生は、既に報告されているように(箕浦ほか、1985)、寛保元年(西暦1741年)北海道渡島大島沖に発生した大津波によってもたらされた。」(85頁)

 この報告の要点は次の通りです。

❶海側の砂丘の出現と砂丘間水路の閉塞の年代は、鉛同位体法により640年±20年前(西暦1340年±20年)及び240年±20年前(西暦1748年±20年)と推定される。※数値はママ。
❷寛保元年(西暦1741年)、渡島半島西方沖で発生した大津波により十三湖周辺の海岸地形は少なからず変容したことが推定されている(箕浦・中谷、1989)。その時の様子を橘南谿が「東遊記」に克明に記録している。
❸海側の砂丘の出現と砂丘間水路の閉塞は640年±20年前(西暦1340年±20年)と考えられ、これは興国元年(1340)・二年(1341)の大津波伝承に対応している。
❹従って、砂丘間湖沼を出現させた海側の砂丘の発達は、その推定年代値(西暦1340年前後)から、この時の津波(興国の大津波)の襲来によって作られた可能性が大いに考えられる。
❺十三湖の堆積物中には堆積相の急変部が認められず、従って、興国の大津波は湖に直接及ばなかったと思われる。恐らく、海岸での急激な堆積物の移動と海岸砂丘の形成に終始している。
❻津波による当時の港湾施設の破壊の言伝え(『東日流外三郡誌』)は後の誇張によるものであろう。或は、砂丘の出現による湖口部の閉鎖が水上交易を阻害し、中世十三浦の支配者たる津軽安東氏は、これ以降急速に衰退の一途を辿ったとも解釈できよう。

 ❶~❹で示されているように、鉛同位体比年代測定により明らかとなった十三湊が閉塞された年代が、興国の大津波伝承と一致することは重要です。すなわち、理化学的年代測定値と現地伝承史料の年代が一致するという当報告は、『東日流外三郡誌』偽書説に対する強力な反証となります。少なくとも、〝『東日流外三郡誌』にしかない興国の大津波伝承は考古学調査で否定されており、従って『東日流外三郡誌』は偽書である〟というレベルの偽作キャンペーンが全く成立しないことは明白です。

 なお、『地質学論集』第36号掲載の報告書「津軽十三湖及び周辺湖沼の成り立ち」の存在を、わたしはブログ「釜石の日々」の記事(注②)で知りました。同ブログ編集者に感謝します。(つづく)

《追記》明日、弘前市に向かいます。明後日の『東日流外三郡誌の逆襲』出版記念講演会(秋田孝季集史研究会主催)で講演し、その後は現地調査などを行う予定です。

(注)
①箕浦幸治・中谷 周「津軽十三湖及び周辺湖沼の成り立ち」『地質学論集』第36号、1990年。
https://dl.ndl.go.jp/pid/10809879
箕浦幸治(?-?) 東北大学理学部地質学古生物学教室
中谷 周(?-1992.08) 弘前大学理学部地球科学教室
②ブログ「釜石の日々」〝津軽十三湊の興国の大津波〟2016-09-08 19:13:23 | 歴史
https://blog.goo.ne.jp/orangeone_2008/e/260cd259cee059990c7e8c1be68426c1

《写真》「東日流外三郡誌」に描かれた〝興国二年の大津波〟

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