第3584話 2026/01/20

「秋田重季氏ら記念写真」の調査 (8)

 撮影場所は弘前市元寺町の石場旅館か

 「秋田重季氏ら記念写真」(藤本光幸氏遺品)に、並んで写っている男性五名(注①)の確認と撮影時期の推定できました。次に撮影場所についての調査検討を行いました。

 まず、後列の男性三名が弘前中学の教師であることから、この写真が撮られた場所は弘前市と推定するのが穏当です。写真に「女将」や「芸妓」と思われる女性たちが写っていることから、弘前市内の格式の高い旅館か料亭と思われます。東京から来た二人の貴族院子爵議員〔秋田重季氏(1886~1958)、綾小路護氏(1892~1973)〕が写っているのですから、この理解が最有力でしょう。その上で、主客は前列中央に着席する秋田重季子爵と考えることができます。秋田家の始祖(安日王)の地が津軽であることも、この理解を支持します。

 以上の考察を前提として、弘前市内の老舗旅館をWEBで調べてみました。その結果、明治から続く弘前市内の老舗旅館は三軒ほどあり、弘前市元寺町の石場旅館がその最有力候補となりました。同旅館は明治12年の創業で、そのときの建物が改修しながらも、今でも残っているという稀有な例でした。同旅館のHPによれば(注②)、その建物は平成23年に国指定登録有形文化財に認定され、その登録概要には次の記述があり、注目しました。なお、石場旅館(元寺町)と弘前中学(新寺町、現・弘前高校)間の距離は地図で見ると2㎞ほどです。

 石場旅館 国指定登録有形文化財(平成23年12月9日付答申により)
1 文化財の種別 登録有形文化財(建造物)
2 名称及び員数 石場旅館 1棟
3 所在地 弘前市大字元寺町55番地
4 建築年代 明治12年頃(推定)逐次改修あり
5 登録基準 国土の歴史的景観に寄与しているもの
6 構造・形式 木造2階建、鉄板葺、建築面積456㎡
7 所有者 石場久子
8 創造、創始由緒及び沿革

 創業者である石場久蔵は、30歳の頃に道路側の表部分に小間物屋と旅籠を兼ねた旅館業を営んだのが始まりで、本建物は明治12年頃に新築されたとされる。久蔵は、明治19年(1886)に当時の駅伝取締所から駅伝宿舎としての木札を受けている。

 明治22年(1889)の間取図に奥部分の建物が記載されている。

 明治27年(1894)に弘前・青森間に鉄道が開通し、明治30年に陸軍第八師団が設置されている。

 明治29年の軍が発行した「大日本旅館」という冊子には石場旅館が掲載されており、また、「陸軍召集軍用旅館」という看板や皇室、政府関係の看板も遺っていることから、多くの関係者が宿泊したものと考えられる。 (後略)

 このように政府関係者が利用した旅館とのことで、東京から貴族院子爵議員が逗留するに相応しい格式を持つ旅館です。「記念写真」が撮影された場所の有力候補と思われました。このことを東京古田会主催の和田家文書研究会(1月10日)にてリモート発表したところ、愛媛県松山市からリモート参加されていた皆川恵子さんから、昨年九月の弘前市での『東日流外三郡誌の逆襲』出版記念講演会に参加したおり、玉川宏さん(秋田孝季集史研究会・事務局長)の紹介で石場旅館に宿泊したことを教えていただきました。ちなみに、皆川さんと玉川さんは『東日流外三郡誌の逆襲』(注③)の共著者で、不思議なご縁を感じました。

 そこで玉川さんにお願いして、石場旅館に「記念写真」や秋田重季氏の来訪について何か記録が残っていないかを調査していただきました。その調査報告が本日届きましたが、百年も前のことであり、写真や宿泊者名簿などは残っていないとのことでした。残念ではありますが、撮影場所の候補に相応しい老舗旅館が現在でも弘前市に残っていることは確認できました。なお、廃業した旅館は調査できていませんし、WEBで紹介されていない老舗旅館があるかもしれません。(つづく)

(注)
①「記念写真」の男性六名のうち、次の五名を確認できた。
[後列]
❶天内兼太郎(1885~1985) 弘前中学教師 《男A》「天内」
❷森 林助 (1880~1935) 弘前中学教師 《男B》「森」
❸菊池 巍 (1876~1934) 弘前中学教師 《男C》不記載
[前列]
❹未 詳                《男D》「和田長三(郎)」
❺秋田重季 (1886~1958) 貴族院子爵議員《男E》「秋田重(季)」
❻綾小路護 (1892~1973) 貴族院子爵議員《男F》「綾小路」
②石場旅館のHPアドレスは次の通り。
https://ishibaryokan.com/
③古賀達也編『東日流外三郡誌の逆襲』八幡書店、2025年。

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