第2271話 2020/10/24

『論語』と『礼記』の学齢

 『論語』爲政篇の孔子の年齢記事と同類のものが『礼記』曲礼上篇に見えます。

 「人生まれて十年なるを幼といい、学ぶ。二十を弱といい、冠す(元服)。三十を壮といい、室有り(妻帯する)。四十を強といい、仕う。五十を艾(かい)といい、官政に服す(重職に就く)。六十を耆(き)といい、指使す(さしずして人にやらせる)。七十を老といい、伝う(子に地位を譲る)。八十・九十を耄(もう)という。七年なるを悼(とう)といい、悼と耄とは罪ありといえども刑を加えず。百年を期(ご)といい、頤(やしな)わる。」『礼記』曲礼上篇。(『四書五経』平凡社東洋文庫、竹内照夫著)

 おそらくは貴族や官吏の人生の、十年ごとの名称と解説がなされたものですが、百歳まであることから、二倍年齢であることがわかります。『礼記』は漢代に成立していますが(注)、前代の周、あるいはそれ以前の遺制(二倍年齢、短里)が、その中に散見されるのは当然でしょう。
 この『礼記』の記事と『論語』の孔子の生涯を比較すると、まず目に付くのが「学」の年齢差です。『礼記』では十歳(一倍年暦では五歳)ですが、『論語』では十五歳(一倍年暦では七~八歳)です。ということは、孔子は家が貧しくて学問を始める年齢が遅かったのではないでしょうか。とすれば、この爲政篇の一節は、孔子の自慢話ではなく苦労話かもしれません。(つづく)

(注)『周礼』のみは周代の成立。

「子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従へども、矩を踰えず。」『論語』爲政第二

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