第2307話 2020/12/02

古田武彦先生の遺訓(16)

周代史料の史料批判(優劣)について〈中篇〉

 主な周代史料には伝世史料(『春秋左氏伝』『周礼』『国語』『竹書紀年』など)、金文(殷周の青銅器に記された文字)、竹簡(精華簡『繋年』など)があります。これらの史料批判として、一般論としては竹簡や金石文などの考古史料が確かな史料として位置づけられるのですが、それほど単純ではないことがわかってきました。
 これはわたしの初歩的なミスだったのですが、当初、『竹書紀年』は出土竹簡に基づいており、信頼性が高いと思っていました。ところが調べてみると、それはとんでもない誤解でした。『竹書紀年』については『中国古代史研究の最前線』(注①)に次のような解説があります。

〝『竹書紀年』は西晋の時代に(注②)、当時の汲郡(今の河南省衛輝市)の、戦国魏王のものとされる墓(これを汲冢と称する)から出土した竹簡の史書であり、夏・殷・周の三王朝及び諸候国の晋と魏に関する記録である。体裁は『春秋』と同様の年代記で、やはり記述が簡潔である。(中略)
 ただし『竹書紀年』は後に散佚したとされており、現在は他の文献に部分的に引用された佚文が見えるのみである。その佚文を収集して『竹書紀年』を復元しようとする試みが清代より行われている。その佚文や輯本(佚文を集めて原書の復元を図ったもの)を便宜的に古本(こほん)『竹書紀年』と称する。
 これに対して、南朝梁の沈約のものとされる注が付いた『竹書紀年』が現存しているが、こちらは一般的に後代に作られた偽書であるとされる。これを古本に対して今本(きんぽん)『竹書紀年』と称する〟157頁

 この説明によれば、今ある『竹書紀年』は三世紀の出土後に散佚し、その千年以上後の清代になって収集されたものであり、元の姿をどの程度遺しているのか、用心してかからなければならない伝世史料なのでした。
 金文についても同様で、同時代金石文と単純にとらえることができないこともわかりました。殷周の青銅器の中には古美術商ルートで出回ったものも少なくなく、偽造の可能性がついてまわります。次に出土であってもその遺構の編年の問題があります。というのも、その時代における青銅器の偽造、あるいは模造という可能性があり、殷周時代との同時代性の確認が必要です。
 このような「周代史料」の実態がわかってきましたので、それでは最も信頼できる史料は何なのかという課題について熟慮しました。(つづく)

(注)
①佐藤信弥『中国古代史研究の最前線』星海社、2018年。
②西晋(265~316年)。

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