第2824話 2022/09/02

「二倍年暦」研究の思い出 (12)

―弥生人骨の年代判定とグラフ化―

 『論語』をはじめとする周代史料の二倍年暦論証という古田先生の遺訓については、多くの論文を発表し、ある程度はお応えすることができたと考えています。しかし、それらを一冊の本にする仕事がまだ残されています。他方、二倍年暦説そのものに対する考古学的批判(弥生人骨の年齢分布)や中国の国家プロジェクト「夏商周断代工程」(注①)により周代の一倍年暦は証明されたとする批判もありました(注②)。
 何度も述べていますが、〝学問は批判を歓迎し、真摯な論争は研究を深化させる〟とわたしは考えていますので、新たな批判も歓迎するところでした。特に弥生人骨の年齢判定や中国での「夏商周断代工程」などは未知の分野でしたので、それらの研究に触れる良い機会にもなりました。しかも、前者は理系分野の研究ですから、わたしもその方法論については関心を抱いていましたし、化学工場で品質管理・製品検定責任者の経験もありましたので、どちらかというと漢籍や古文研究よりも得意な分野でした。この分野については既に反論済みと考えていますが(注③)、あらためてその論点を紹介します。
 わたしの『論語』二倍年暦説を批判された中村通敏さんが「孔子の二倍年暦についての小異見」(注④)において、五十歳を越える古代人が20%以上いたとされた根拠は次の二つの文献でした。その要旨を同稿の「注」に中村さんが次のように引用されています。
【以下、転載】
 注1 日本人と弥生人 人類学ミュージアム館長 松下孝幸 1942.2 祥伝社
p169~p172 死亡時年齢の推定 要旨
 骨から死亡時の年齢を推定するのは性別判定よりさらに難しい。基本的には、壮年(20~40)、熟年(40~60)、老年(60〇~)の三段階のどこに入るのか大まかに推定できる程度だと思った方がよい。ただし、15歳くらいまでは1歳単位で推定することも可能。子供の年齢判定でもっとも有効な武器は歯である。一般的に大人の年齢判定でもっとも頼りにされているのは頭蓋である。頭蓋には縫合という部分がある。縫合は年齢と共に癒合していって閉鎖してしまう。その閉鎖の度合いによって先ほど上げた三つのグループに分類するのである。これは単に壮・熟・老というだけではなく、「熟年に近い壮年」、「老年に近い熟年」といったレベルまでは推定することができる。
 注2 日本人の起源 古代人骨からルーツを探る 中橋孝博 講談社 選書メチエ 2005.1
 中橋氏はこの本の中で、「弥生人の寿命」という項で大約次のように言います。
 『人の寿命の長短は子供の死亡率に左右される。古代人の子供の死亡状況を再現することは特に難しい作業である。寿命の算出には生命表という、各年齢層の死亡者数をもとにした手法が一般的に用いられるが、骨質の薄い幼小児骨の殆どは地中で消えてしまうために、その正確な死亡者数が掴めない。中略 甕棺には小児用の甕棺が用いられ、中に骨が残っていなくても子供の死亡者数だけは割り出せる。図はこのような検討を経て算出した弥生人の平均寿命である。もっとも危険な乳幼児期を乗り越えれば十五歳時の平均余命も三十年はありそうである。』
【転載終わり】
 そして、中村さんは提示されたグラフに次のような説明を付されています。「この生存者の年齢推移図からは、弥生人の二〇%強が五十歳以上生きていたことを示しています。」
 わたしは上記の「注」を読み、中村稿の「生存者の年齢推移図」グラフを仮説(一倍年暦)の根拠に用いるのは危険と感じました。同グラフに違和感を覚えたのです。その理由は次の通りです。

(ⅰ) 松下氏は「骨から死亡時の年齢を推定するのは性別判定よりさらに難しい」とされる。
(ⅱ) そして、「壮年(20~40)、熟年(40~60)、老年(60~)の三段階のどこに入るのか大まかに推定できる程度」とされる。
(ⅲ) 出土人骨の年齢を三段階に大まかに分けるという手法は理解できるが、その三段階の年齢枠は何を根拠に(20~40)(40~60)(60~)と設定されたのかが不明。
(ⅳ) 出土人骨の相対的年齢比較はある程度可能と思われるが、その人骨が何歳に相当するのかの測定は困難。古代史に詳しい知人の医師にもたずねたが、そのような技術はまだ確立されていないとのこと。
(ⅴ) 従って、弥生時代の壮年・熟年・老年の年齢枠が現代とは異なり、仮に(15~30)(30~40)(40~)だとしたら、この三段階にそれぞれの人骨サンプルを相対年齢判定によって配分すれば、その結果できるグラフは全く異なったものになる。
(ⅵ) 他方、弥生時代の倭人の寿命を記す一次史料として『三国志』倭人伝がある。それには「その人寿考、あるいは百年、あるいは八、九十年」(二倍年暦)とある。これは倭国に長期滞在した同時代の中国人による調査記録であり、信頼性は高い。これによれば、倭人の一般的寿命は四十~五十歳である。
(ⅶ) 中村さん提示のグラフでは、50歳が約20%、60歳が約10%、70歳超で0%に近づく。もしこれが実態であれば、倭人伝の記述は「その人寿考、あるいは百二十年、あるいは九十、百年」(二倍年暦)とあってほしいところだが、そうはなっていない。
(ⅷ) 弥生時代の出土人骨を50歳・60歳・70歳に区別できるほどの測定技術があるのか不審(従って、コンピューターソフトでグラフ化した70歳付近のパーセント数は信頼性が劣る)。しかも年齢比定に必要な、別の手段(墓誌など)で没年齢が判明している弥生人の「標本人骨」の存在など聞いたことがない。
(ⅸ) 同時代の文字記録(倭人伝)という一次史料と現代の考古学者による推定年齢が異なっていれば、まず疑うべきは考古学「編年(齢)」の推定方法の当否である。

 このように、同グラフ作成に至る方法論や一次史料(倭人伝)との整合が脆弱であるため、仮説(一倍年暦)の根拠にすることや、それに基づく中村さんの意見にも賛成できませんでした。さらに、『論語』の時代(周代)の中国人の寿命を論じる際に、地域も時代も異なる弥生時代の倭人の人骨推定年齢データを用いることにも問題なしとは言えません。
 以上のようにわたしは反論しました。なお、出土縄文人骨年代判定にベイズ推定統計学を採用する試みも見られ(注⑤)、注目していますが、今でもわたしの反論は基本的に妥当と思っています。(つづく)

(注)
①岳南『夏王朝は幻ではなかった 一二〇〇年遡った中国文明史の起源』(柏書房、2005年)にプロジェクト「夏商周断代工程」が紹介されている。同プロジェクトは古代中国王朝の実年代を多分野の研究者による共同作業で明らかにするというもので、その報告書が2004年に発表された。
②中村通敏「『論語』は『二倍年暦』で書かれていない 『託孤寄命章』に見る『一倍年暦』」『東京古田会ニュース』178号、2018年。
 同「『史記』の「穆王即位五〇年説」について」『東京古田会ニュース』194号、2020年。
 服部静尚「二倍年暦・二倍年齢の一考察」『古田史学会報』171号、2022年。
③古賀達也「『論語』二倍年暦説の論理 ―中村通敏さんにお答えする―」『東京古田会ニュース』179号、2018年。
④中村通敏「孔子の二倍年暦についての小異見」『古田史学会報』92号、2009年。
⑤長岡朋人「縄文時代人骨のライフヒストリーの解明」日本学術振興会、最近の研究成果、2011年。

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