第2832話 2022/09/10

「延喜二年籍」の史料事実と〝偽籍〟

 「延喜二年(902年)阿波国戸籍」に見える超高齢者群を二倍年暦(二倍年齢)の影響を受けたものではないかと、当初、わたしは考えていたのですが、同戸籍の年齢を全て半分にすると、新たに多くの問題点が発生することがわかりました。たとえば、親子間の年齢差や女性の出産年齢が非常識なものになる例が出てきたのです。このため、二倍年齢による解釈は成立困難と判断しました。
 そこで先行研究(注①)を調べたところ、この超高齢戸籍を〝偽籍〟とする説があることを知りました。すなわち、親や家族が亡くなると班田を国家に返却しなければならず、それを避けるため除籍せずに死者が生きていることにして、造籍時に年齢だけを加算した偽りの戸籍を作成し、国司や朝廷に報告した結果、〝偽籍〟「延喜二年阿波国戸籍」が成立したとするものです。現代社会でも、親が亡くなっても生きていることにして、親の年金を受給する事例が発覚していますが、それと同類の行為が十世紀初頭の平安時代にあったというわけです。しかも古代の場合、その〝偽籍〟は地方役人も加担して行われたに違いありません。
 この偽籍説は、「延喜二年阿波国戸籍」の〝史料事実〟を〝歴史事実〟とはせずに、班田返却を避けるための〝偽籍〟とするもので、学問の方法としても妥当な判断と思いました。しかし、同戸籍を精査すると、死者の年齢を造籍時に加算しただけでは説明できない超高齢の戸(家族)があり、やはり一部の戸には二倍年齢という概念を部分導入しなければ説明できないことに気づきました。その詳細については、八王子セミナーで発表した拙論「古代戸籍に見える二倍年暦の影響 ―「延喜二年籍」「大宝二年籍」の史料批判―」(注②)をご参照ください。
 こうして、「延喜二年籍」の超高齢者群の存在について、自分なりに納得できる結論に至ったので、次に現存最古の「大宝二年籍」(702年)の研究に入りました。そこにも、〝史料事実〟と〝歴史事実〟の間に大きな問題が横たわっていることを知りました。(つづく)

(注)
①平田耿二『日本古代籍帳制度論』吉川弘文館、1986年。
②古賀達也「古代戸籍に見える二倍年暦の影響 ―「延喜二年籍」「大宝二年籍」の史料批判―」『古田武彦記念古代史セミナー2020 予稿集』大学セミナーハウス、2020年。当拙論で次のように指摘した。
 「古代戸籍を歴史研究の史料として使用する場合は、この偽籍の可能性を検討したうえで使用しなければならない。文献史学における基本作業としての史料批判が古代戸籍にも不可欠なのである。すなわち、どの程度真実が記されているのか、どの程度信頼してよいのかという基本調査(史料批判)が必要だ。ある古代戸籍に長寿者が記録されているという史料事実を無批判に採用して、その時代の寿命の根拠(実証)とすることは学問的手続きを踏んでおらず、その結論は学問的に危ういものとなるからである。」
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