第2284話 2020/11/06

古田武彦先生の遺訓(10)

小寺敦さんの「精華簡『繋年』訳注・解題」拝読

 佐藤信弥さんの『中国古代史研究の最前線』(注①)に紹介されていた小寺敦さんの長文(約300頁)の力作「精華簡『繋年』訳注・解題」(注②)をようやく読了しました。この分野のおそらく最高レベルの研究者による専門的な論文と思われますが、わかりやすく書かれており勉強になりました。わたしの力量では全てを正しく理解することはできませんが、同分野ではどのような史料(伝世文献、出土文献)が重視されており、どのような方法論が採用されているのかを、わたしなりに把握できました。また、webでの閲覧が可能であることも有り難い配慮でした。
 同論文を拝読して、わたしが最も重要な現象と感じたのが、出土文献である『繋年』の記事を採用すると、他の伝世文献(『竹書紀年』、『史記』、『春秋左氏伝』、『国語』など)の記事と齟齬や矛盾が発生するため、諸研究者がそれらの矛盾を解決するために様々な文章解釈を自説として発表するという同分野の傾向(学問の方法)でした。
 紀元前の一千年から数百年を対象とする文献史学の分野ですから、これは無理からぬことかもしれませんが、わたしが古田先生から教えていただいた学問の方法とはずいぶん異なっていました。古田先生は、『三国志』研究において、まず現存する各写本の史料批判を行い、その中で最も原文の姿を残していると思われる紹熙本(南宋紹熙年間〔1190~1194〕刊行)を基本資料と位置づけ、それを中心に文章解釈するという方法を採用されました(注③)。『万葉集』の場合、「元暦校本 万葉集」を採用されたのも同様の方法に基づかれたものです(注④)。ですから、各写本の都合のよい部分をそれぞれ採用して仮説を組み立てるという方法は誤りであると、厳しく戒められました。もちろん、必要にして十分な論証を経た場合はその限りではありません。
 小寺論文を読みながら、このときの古田先生の言葉を思い起こしました。当時、話題になったことについては別の機会に詳しく紹介したいと思います(注⑤)。なお、今回進めている周代研究においては、佐藤信弥さんの『中国古代史研究の最前線』がとても役に立ちました。そこで、佐藤さんのもう一冊の著書『周 ―理想化された古代王朝』(中公新書、2016年)も購入し、読んでいるところです。(つづく)

(注)
①佐藤信弥『中国古代史研究の最前線』星海社、2018年。
②小寺敦「精華簡『繋年』訳注・解題」『東洋文化研究所紀要』第170冊、2016年。
③古田武彦『「邪馬台国」はなかった』朝日新聞社、1971年、138~139頁。ミネルヴァ書房から復刻。
④古田武彦『古代史の十字路 万葉批判』東洋書林、2001年、7頁。ミネルヴァ書房から復刻。
⑤「九州年号群史料」や『新撰姓氏録』の史料批判をテーマとした古田先生との対話(1990~2000年頃)。

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