『二中歴』研究の思い出(6)
『二中歴』九州年号細注には仏教に関する記事が多いのですが、その中で最も印象に残ったものが、次の一切経受容記事でした。
「僧要」自唐一切経三千余巻渡
九州年号の僧要年間(635〜639)に唐より一切経三千余巻が渡ったという記事です。一切経は大蔵経ともよばれ、膨大な経典類を集成分類する方法として、インドで成立していた「三蔵」(テイピタカ。経・律・論の部立てからなる)をもとにして中国で案出された漢訳仏典・章疏・注釈を総集したものです。総集目録として最も早いものは、前秦の道安(314〜385)による『綜理衆経目録』(六三九部八八六巻)とされ、その後も漢訳仏典の訳出の増加により次々と衆経目録が編纂され、唐代以前のものだけでも二十種に及ぶといわれています。
そこで、この細注の「三千余巻」に相当する一切経を調査したところ、隋代(開皇17年、597)に費長房により撰述された『歴代三宝紀入蔵録』(一〇七六部、三二九二巻)が時期的にも巻数においても相応していることを発見したのです。そのことを『古田史学会報』12号(1996年2月)に「九州王朝への一切経伝来 『二中歴』一切経伝来記事の考察」として発表しました(『「九州年号」の研究』に収録)。
このことから、『二中歴』細注が九州王朝史や九州王朝仏教受容史の復元研究にとって貴重な史料であることがわかりました。細注記事にはまだ意味不明なものがあり、これからの研究が待たれています。そしてそれらが判明したとき、九州王朝研究は更に進展することを疑えません。全国の古田学派の研究者に共に『二中歴』細注記事の研究に取り組んでいただきたいと願っています。