第586話 2013/08/24

「九州年号」の証明(2)

 第585話に 続いて水野さん(古田史学の会・代表)からの御指摘について考察します。『襲國偽僣考』に記された古写本『九州年号』以外にも、「九州年号」が九州地方の 年号であることを記した史料があります。それは宇佐八幡宮文書で『八幡宇佐宮繁三』(元和三年〔1617〕、卜部兼従著)というもので、『襲國偽僣考』が著された文政3年(1820)より約200年前に成立した文書です。そこに次のような記事が見えます。

 「筑紫の教到四年にして第廿八代安閑天皇元年なり」

 ある事件について、その年を九州年号の教到四年であり安閑天皇元年(534)に相当するという注記なのですが、「筑紫の教到四年」という表記から。「教到」年号を「筑紫」の年号であり、近畿天皇家の安閑元年と同年であるとの認識が示されています。
 管見では、いわゆる九州年号が九州地方の年号であることを直接的な表現で示された史料は、この『八幡宇佐宮繁三』が最も成立が早いと思われます。『襲國偽僣考』の著者、鶴峰戊申は現大分県の出身ですし、宇佐八幡宮も大分県にありますから、この地方ではこうした九州王朝系史料が江戸時代まで残っており、興味深い現象です。なお、宇佐八幡宮文書につきましては『「九州年号」の研究』(古田史学の会編)に詳しく記していますので、ぜひご一読下さい。(つづく)

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