第2796話 2022/07/24

慈眼院「定居二年」棟札の紹介

 「洛中洛外日記」2791話(2022/07/19)〝慈眼寺「定居七年」棟札の紹介論文〟で紹介した慈眼院棟札(定居七年・617年)ですが、泉佐野市日根野慈眼院(注①)のご住職から教えていただいた資料(注②)などにより、同棟札の全文を確認することができました。その冒頭部分を転記します。

「泉州日根郡日根野大井関大明神
 御造営記録并御縁起由来㕝
抑當社大明神者古三韓新羅国
修明正覚王一天四海之御太子ニ 而
御座然者依不思儀御縁力定居
二年壬申卯月二日ニ 日域ニ 渡セ 玉ヒ
當国主大井関正一位大明神ニ 備リ
玉フ 爰ニ 天下乱入ニ 付而天正四年
丙子二月十八日ニ 焔上也其後
(中略)
       吉田半左衛門尉
 慶長七年壬寅十二月吉日一正」

先の「洛中洛外日記」で紹介した「定居七年」ではなく、「定居二年」(612年)に新羅国の太子「修明正覚王」が当地に来て、「當国主大井関正一位大明神」になったという「日根野大井関大明神」の由来が冒頭に記されています。その後、天下が乱れ、同社は天正四年(1576年)のおそらくは兵火で消失し、慶長七年(1602年)に豊臣秀頼により再興されたことが後段に詳述されています。
 従って、この棟札銘文に見える「定居二年」は同時代九州年号史料ではありませんが、当時の古代史認識が示された史料として貴重です。次にその古代史認識とは、どのようなものであったのかについて迫ってみます。(つづく)

(注)
①大阪府泉佐野市日根野にある真言宗の寺院。近世末までは隣接する日根神社の神宮寺であった。(ウィキペディアによる)
②『泉佐野市内の社寺に残る棟札資料』泉佐野市史編纂委員会、1998年

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