第3009話 2023/05/06

九州年号「大化」「大長」の原型論 (3)

本稿を新青森駅に向かう東北新幹線(はやぶさ17号)車中で書いています。
『二中歴』には「大長」がなく、最後の九州年号は「大化」(695~700)で、その後は近畿天皇家の年号「大宝」へと続きます。ところが、『二中歴』以外の九州年号群史料では「大長」が最後の九州年号で、その後に「大宝」が続きます。そして、「大長」が700年以前に「入り込む」形となったため、その年数分だけ、たとえば「朱鳥」(686~694)などの他の九州年号が消えたり、短縮されたりしています。

このように最後の九州年号を「大化」とする『二中歴』と、「大長」とするその他の九州年号史料という二種類が後代に併存するのですが、この状況を説明するため、「大長」は704~712年に存在した最後の九州年号とする下記の仮説(3)に至りました(注①)。それ以外の仮説が成立し得ないことから、基本的に論証は完了したと、わたしは考えました(注②)。

【古賀説】(3) 大和朝廷への王朝交代後(701年)も九州年号は、「大化」(695~703年)を経て「大長」(704~712年)まで続く。

 他方、『二中歴』以外の九州年号群史料には様々な年号立てが見えることから、古賀説は論証不十分とする疑義も寄せられました。その説明を「洛中洛外日記」〝九州年号「大化」の原型論〟(注③)で始めたのですが、多忙のため途中で連載が止まったままとなっていました。そこで、今回の新連載〝九州年号「大化」「大長」の原型論〟を始めました。まず、自説の論理構造を詳述します。自説成立の大前提となる命題と解釈はつぎの通りです。

(A) 後代における九州年号群史料編纂者の認識は、次の二つの立場のいずれかに立つ。
《1》九州年号は実在した。
《2》年号を公布できるのは大和朝廷だけであるから、九州年号は偽作であり実在しない。偽年号・私年号の類いとして紹介する。江戸期の貝原益軒(注④)や戦後の一元史観の学者(注⑤)がこの立場に立つ。

(B)〝《1》九州年号は実在した〟との立場に立つ人は、更に次の二つに分かれる。
《1-1》九州年号は大和朝廷の正史には見えないので、それ以外の勢力(南九州の豪族、筑紫の権力者)による年号とする。鶴峯戊申、卜部兼従など(注⑥)。
《1-2》正史から漏れた大和朝廷の年号とする。新井白石など(注⑦)。

(C)《1-1》の立場に立つ編者は、九州年号を大和朝廷の年号と整合(大宝元年への接続など)させる必要がなく、原本を改変する動機がない。従って、九州年号をそのまま書写・転記したであろう。
その例として鶴峯戊申『襲国偽僣考』がある。同書に見える最後の九州年号は「大長」だが、「文武天皇大寶二年。かれが大長五年。」(702年)とあり、大和朝廷の年号「大宝」と九州年号「大長」が、701年以後も併存したとする鶴峯の認識がうかがえる(注⑨)。ただし「大長元年」の位置は698年とされ、古賀説(3)の704年とは異なる。

(D)《1-2》の場合、『続日本紀』に見える「大宝」(701~704年)建元以前の年号と理解するはずであり、もし九州年号が「大宝年間」と重なっていれば、重ならないように九州年号の末期部分を改訂する可能性が大きい。

以上のように編纂者の認識を分類しました。従って、自説が正しければ(D)による改訂の痕跡があるはずで、本来の九州年号から改訂形に至る認識をたどることができると考えました。そこで、数ある九州年号群史料を採録した丸山晋司さんの労作『古代逸年号の謎 ―古写本「九州年号」の原像を求めて―』(注⑧)に掲載された諸史料の年号立てを精査し、それら全てが自説(3)から改訂された姿と見なしうることを確認しました。(つづく)

(注)
①古賀達也「洛中洛外日記」3006話(2023/05/05)〝九州年号「大化」「大長」の原型論 (1)〟
②九州年号に関する日野智貴氏(古田史学の会・会員、たつの市)とのある日の対話で、「古賀説〝701年以後も九州年号は継続した〟の提起により、九州年号研究は基本的に完結したと思った」という日野氏の発言が印象深く、忘れ難い。この仮説が王朝交代期の実態に迫る上で、重要な視点を有すことを、氏は深く理解されていたようである。
③古賀達也「洛中洛外日記」1516~1518話(2017/10/13~16)〝九州年号「大化」の原型論(1)~(3)〟
④貝原益軒『続和漢名数』元禄五年(1692)成立。
⑤久保常晴『日本私年号の研究』吉川弘文館、1967年。
所功『年号の歴史〔増補版〕』雄山閣、平成二年(1990)。
⑥卜部兼従(宇佐八幡宮神祇)『八幡宇佐宮繋三』1617年成立。同書には九州年号を「筑紫の年号」とする認識が示されている。
鶴峯戊申『襲国偽僣考』文政三年(1820)成立。「やまと叢誌 第壹号」(養徳會、明治二一年、1888年)所収。
同『臼杵小鑑』文化三年(1806)成立。
⑦新井白石「安積澹泊宛書簡」『新井白石全集』第五巻
⑧丸山晋司『古代逸年号の謎 ―古写本「九州年号」の原像を求めて―』株式会社アイ・ピー・シー刊、1992年。
⑨古賀達也「続・最後の九州年号 ―消された隼人征討記事」『「九州年号」の研究』所収。古田史学の会編・ミネルヴァ書房、2012年。初出は『古田史学会報』78号、2007年。

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