第3179話 2023/12/12

城崎温泉にて ―温泉神と宗像三女神―

 今日は朝から家族めいめいに好きな外湯(注①)めぐりです。わたしは城崎文芸館を見学してから、「海内第一泉」の石碑がある「一の湯」(注②)に入りました。午後は「御所の湯」に入る予定です。古田先生も温泉がお好きだったようで、信州松本での講演のおり、当地の浅間温泉に入ることを楽しみにしておられました。先生は富士乃湯を定宿にしておられ、「この湯に一回入ると、寿命が一年延びる」と言っておられたのを、城崎の温泉に浸かりながら思い出しました。

 文芸館で購入した『城崎物語 改訂版』(注③)によれば、城崎温泉の発見譚を舒明天皇の頃とする史料は、城崎の旧家に伝わる『温泉寺縁起』の異本『曼荼羅記』などで、「舒明元年(629年)」に大谿(おおたに)川の渓谷に濁った熱い湯が見つかったと記されているらしい。舒明元年(629年)は九州年号の仁王七年己丑に当たり、原史料には「仁王七年己丑」などとあったのではないでしょうか。

 わたしがこのように考える理由は、論理上の問題として、『日本書紀』成立以前において、年次を記述する方法は、干支か九州年号か中国の年号を用いるしかありません。干支では六十年毎に繰り返しますから、古い時代の年次表記には不向きです。九州年号の場合は、九州年号が使用されていた時代であればピンポイントで年次を特定できますから、今回のケースでは最も適しています。九州年号より前の時代であれば、中国の年号で代用するしかありませんが、歴代中国王朝の年号一覧のような史料が必要です。

 他方、兵庫県北部には九州年号で年次を記した「赤渕神社縁起」のような古い史料があり、七世紀において、当地域で九州年号が使用されていた可能性は高いと判断しています(注④)。

 もう一つ、城崎には興味深い伝承がありました。「御所の湯」のお隣にある「四所神社」のご祭神が「湯山主神」「多岐津媛神」「多紀理媛神」「市杵島媛神」の四柱であり、当地の温泉の神様と宗像三女神が祀られているのです。この由緒はまだ調べていませんが、北部九州の神様が祀られていることは、九州王朝の当地への影響と考えることもできそうです。なお、城崎温泉の発見を養老四年(720年)とする伝承もありますが(注⑤)、別途、論じる機会を得たいと思います。

(注)
①城崎温泉には各旅館の「内湯」とは別に七つの「外湯」がある。「さとの湯」「地蔵湯」「柳湯」「一の湯」「御所の湯」「まんだら湯」「鴻の湯」。
②江戸時代の医師、香川修庵が「天下一の湯」と推奨したことが「一の湯」の由来。
③『城崎物語 改訂版』神戸新聞但馬総局編、2005年。
④「赤渕神社縁起」には九州年号「常色(647~651年)」「朱雀(684~685年)」が見える。次の拙論を参照されたい。
「赤渕神社縁起の表米宿禰伝承」『倭国古伝』(『古代に真実を求めて』22集)明石書店、2019年。
⑤『温泉寺縁起』に記されたもので、当地を訪れた道智上人が養老四年に温泉を発見したとする伝承。

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