第3291話 2024/05/26

二つの「白雉元年」と難波宮 (3)
―切り取られた白雉三年二月条―

 『日本書紀』の不自然な白雉改元記事は、九州年号「白雉」と一緒に二年ずらして『日本書紀』に転用された痕跡と考えざるを得ないと前話で述べましたが、その明瞭な痕跡が白雉三年(652年)正月条に遺されています。次の不思議な記事がそれです。

〝三年の春正月の己未の朔に、元日の禮おわりて、車駕、大郡宮に幸す。正月より是の月に至るまでに、班田すること既におわりぬ。凡そ田は、長さ三十歩を段とす。十段を町とす。段ごとに租の稲一束半、町ごとに租の稲十五束。〟『日本書紀』白雉三年(652年)正月条

 『日本書紀』の白雉と九州年号の白雉に二年のずれがあるとすれば、九州王朝による白雉改元記事は、本来ならば孝徳紀白雉三年(652年)条になければなりません。その孝徳紀白雉三年正月条には「正月より是の月に至るまでに」と意味不明の記事があるのです。「是の月」が正月でないことは当然としても、これでは何月のことかわかりません。岩波の『日本書紀』頭注でも、「正月よりも云々は難解」としており、「正月の上に某月及び干支が抜けたのか。」と、いくつかの説を記しています。

 この点、わたしは次のように考えます。この記事の直後が三月条となっていることから、「正月より是の月に至るまでに」の直前に二月条があったのではないでしょうか。ところが、その二月条はカットされています。おそらく、カットされた二月条こそ、本来あるはずのない孝徳紀白雉元年(650年)二月条の白雉改元記事だったのです。すなわち、孝徳紀白雉三年(652年)正月条の一見不可解な記事は、『日本書紀』編者による白雉改元記事「切り貼り」の痕跡だったのです(注)。『日本書紀』の白雉改元記事は九州王朝系史書からの、二年ずらしての転用(盗用)であり、このことが原因となって、二種類の白雉年号が発生したわけです。(つづく)

(注)古賀達也「白雉改元の史料批判 ―盗用された改元記事―」『古田史学会報』76号、2006年。後に『「九州年号」の研究』(ミネルヴァ書房、2012年)に収録。

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