第1326話 2017/01/22

新春講演会でのご挨拶

 「古田史学の会」を代表し、新年のご挨拶を申し上げます。昨年、わたしたちは友好団体と共に、この大阪府立大学なんばサテライト(i-siteなんば)で古田先生の追悼講演会を執り行いました。その後、追悼論文集『古田武彦は死なず』(明石書店)、『邪馬壹国の歴史学』(ミネルヴァ書房)を上梓しました。この出版記念講演会を東京家政学院大学千代田キャンパスや久留米大学福岡サテライトをお借りして開催しました。

 今年は九州年号の「継躰」が517年に建元されてから1500年に当たります。報道によれば今上陛下の御譲位に伴い、数年後には「平成」が改元されるとのことです。これからわが国では年号や改元が注目されることでしょう。
 「古田史学の会」は『失われた倭国年号《大和朝廷以前》』を明石書店から今春発行します。『続日本紀』に記された大和朝廷にとって初めての年号「大寶建元」記事と『日本書紀』に記された九州年号の「大化・白雉・朱鳥の改元」記事などに焦点を当てた研究論文などが収録されています。「平成」の改元にあたりタイムリーな一冊となることでしょう。

 考古学の分野でも太宰府条坊都市の成立が「日本最古」とする井上信正説(太宰府市教育委員会)が注目されています。その太宰府を防衛する羅城と思われる巨大土塁遺跡も昨年末に筑紫野市で発見されました。国内最大規模の大野城山城や基肄城・水城など、太宰府は日本列島内最大の巨大防衛施設で守られており、九州王朝(倭国)の首都に相応しいことが一層明確となりました。
 他方、7世紀の同時代史料である『隋書』には倭国が北部九州にあることを示唆する記述があり、阿蘇山の噴火の様子まで記録しています。その次の『旧唐書』には倭国(九州王朝)と日本国(大和朝廷)が別国(日本は倭の別種)として表記されており、その王朝交代が8世紀初頭に起こったことをうかがわせる記述があります。これは8世紀初頭における九州年号の終了と大和朝廷の年号開始(大寶建元、701年)や、出土木簡に記された地方行政単位の「評」から「郡」への全国一斉変化と時期的にピッタリと対応しています。
 このように古田先生の多元史観・九州王朝説は日本古代史における最有力説といわざるをえません。他方、わたしたち古田学派には文献史学の研究者が多いこともあり、考古学や自然科学の研究成果に対しての知見が十分とはいえません。わたしたちは、そうした学問分野に謙虚に学ぶ姿勢が必要です。
 そのため本日の講演会には大阪の考古学の第一人者であられる大阪府文化財センターの江浦先生と理化学的年代測定の新分野を切り開かれた総合地球環境学研究所(地球研、京都市)の中塚先生をお招きしました。お二方のご講演をとても楽しみにしています。

 本日は、古田史学の会・東海の竹内会長、古田史学の会・四国の合田事務局長にもお越しいただいています。関東からは「古田史学の会」関東地区窓口担当の冨川ケイ子さん、東京古田会の平松健さんもお見えになっています。遠くからお越しいただき、ありがとうございます。
 昨日開催した「古田史学の会」役員会では、古田史学に基づいた合田洋一さんの論文が愛媛県内最大の歴史研究会で注目されていることなどが報告されました。
 「古田史学の会・北海道」では古田先生の著書の図書館への寄贈や今井会長による古田説普及のセッションを千歳市で開催されています。このセッションは大阪で正木事務局長が続けられてきた「誰も知らなかった古代史」セッションが北の大地へ波及したものです。
 「古田史学の会・仙台」では東北という地の利を活かして和田家文書研究が続けられています。
 「古田史学の会・東海」では、名古屋市で毎年開催される愛知サマーセミナーに参画され、愛知県下の高校生への古田史学普及活動を続けられています。
 「古田史学の会・関西」では活発な例会活動・遺跡巡りが催され、そうした活動は「古田史学の会」ホームページ(新古代学の扉)やfacebookを通じて全国の古代史ファンから注目されているところです。

 昨年からは、福岡市を拠点に活動されている「九州古代史の会」とも友好団体として交流をスタートしました。また6〜7世紀の古代寺院(国分寺)の編年を再検討するため、多元的「国分寺」研究サークルを立ち上げ、主に関東の研究者(肥沼孝治さんら)たちが全国の国分寺遺跡の調査研究を開始しています。その成果はインターネットで見ることができます。
 福岡県の久留米大学からは今年も正木事務局長や服部編集長、わたしへ公開講座での講義要請をいただいています。また江田船山古墳で有名な熊本県和水町では、当地から九州年号史料が発見されたことをご縁に、わたしや正木さんが毎年講演をさせていただいています。

 最後に、フランス・パリ在住の会員、奥中清二さんが昨年秋、一時帰国され、そのとき記念に絵画をいただきました。奥中さんはパリ市公認の画家でモンマルトルのアトリエで絵をかいておられます。長年の古田ファンで、邪馬壹国の「壹」の字をモチーフにした抽象画をいただきました。額に入れ、しかるべきところで保管展示したいと思います。

 「古田史学の会」は全国の古田学派の研究者、古田ファンの皆様と手を携えて今年も前進してまいります。会員の皆様の力強いご指導とご協力をお願い申し上げ、ご挨拶とさせていただきます。

フォローする