前期難波宮副都説反対論者への問い(4)
「副都説」反対論者への問い
1.前期難波宮は誰の宮殿なのか。
2.前期難波宮は何のための宮殿なのか。
3.全国を評制支配するにふさわしい七世紀中頃の宮殿・官衙遺跡はどこか。
4.『日本書紀』に見える白雉改元の大規模な儀式が可能な七世紀中頃の宮殿はどこか。
前期難波宮造営を天武期とする際の根拠である飛鳥編年に対して、大阪歴博等の考古学者による干支木簡や年輪年代測定、理化学的年代測定による実証的反論を紹介してきましたが、それとは別に論理的な批判が西村秀己さん(古田史学の会・全国世話人)から寄せられましたので、紹介します。次の通りです。
「日本書紀を正しいとして創られた飛鳥編年によって導き出された難波宮の造営時期が日本書紀の内容と矛盾する。これは飛鳥編年そのものが間違っている証拠。」(西村秀己)
骨太の論証スタイルを好む西村さんらしいシャープな論断です。もちろん、わたしも同意見です。古田学派の研究者であれば、『日本書紀』の記事の暦年を無批判に信用できないとするのは当然のはずです。
たとえば孝徳紀の「大化」についても九州年号「大化」と50年のずれがありますし、「白雉」も九州年号「白雉」と2年のずれがあることは古田学派であれば周知のことです。持統紀の「吉野」関連記事が34年移動されていることも古田先生が論証されたところです。ですから、『日本書紀』暦年記事を「是」として成立している飛鳥編年やそれに基づく緒論を無批判に支持、依拠することもまた、古田学派ではありえないと思うのです。(つづく)