第1482話 2017/08/18

7世紀の王宮造営基準尺(1)

 古代中国では王朝が交代すると新たな暦を採用したり、度量衡も改定される例が少なくありません。わが国においても、九州王朝から大和朝廷に交代する際に同様の事例があるのではないかと考えてきました。そこで7世紀の基準尺を精査し、大宰府政庁や条坊、前期難波宮や藤原京の造営において変化があるのかについて関心を持ってきたところです。
 古田学派では九州王朝は中国南朝系の基準尺を採用してきたとする諸論稿が発表されてきました。近年では服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集長)が「古田史学の会」関西例会において、古代日本における基準尺について論じられています。わたしも「洛中洛外日記」1362話(2017/04/02)「太宰府条坊の設計『尺』の考察」において、九州王朝の基準尺について次の推測を述べました。

 ①6世紀以前、南朝尺(25cm弱)を採用していた九州王朝は7世紀初頭には北朝の隋との交流開始により北朝尺(30cm弱)を採用した。
 ②太宰府条坊都市から条坊設計に用いられた「尺」が推測でき、条坊間隔は90mであり、整数として300尺が考えられ、1尺が29.9〜30.0cmの数値が得られている。「隋尺」か。
 ③条坊都市成立後、その北側に造営(670年頃か)された大宰府政庁Ⅱ期や観世音寺の条坊区画はそれよりもやや短い1尺29.6〜29.7cmが採用されており、この数値は「唐尺」と一致する。

 以上の推定に基づいて、考古学的調査報告書を中心に基準尺について調べてみました。調査の対象を国家公認の主要尺とするため、王都王宮の遺構としました。現時点でわたしが把握できたのは次の通りです。引き続き、調査しますので、データの追加や修正が予想されますが、この点はご留意ください。

(1)太宰府条坊(6〜7世紀) 1尺約30cm。条坊道路の間隔が一定しておらず、今のところこれ以上の精密な数値は出せないようです。
(2)前期難波宮(652年) 1尺29.2cm 回廊などの長距離や遺構の設計間隔がこの尺で整数が得られます。
(3)大宰府政庁Ⅱ期、観世音寺(670年頃) 1尺約29.6〜29.8cm 政庁と観世音寺中心軸間の距離が594.74mで、これを2000尺として算出。礎石などの間隔もこの基準尺で整数が得られるとされています。
(4)藤原宮 1尺29.5cm ものさしが出土しています。
(5)後期難波宮(725年) 1尺29.8cm 律令で制定された「小尺」(天平尺)とされています。

 これら基準尺の数値は算出根拠が比較的しっかりとしており、信頼できると考えています。(つづく)

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